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ボスニア・ヘルツェゴビナについての情報


ボスニア・ヘルツェゴビナ Bosna i Hercegovina (ボスニア語、クロアチア語)
Босна и Херцеговина (セルビア語)
ボスニア・ヘルツェゴビナの国旗 ボスニア・ヘルツェゴビナの国章
(国旗) (国章)
国の標語 : なし 国歌 : インテルメツォ ボスニア・ヘルツェゴビナの位置
公用語 ボスニア語、セルビア語、クロアチア語
首都 サラエボ
最大の都市 サラエボ
元首
大統領評議会議長 ハリス・シラジッチ
閣僚評議会議長 ニコラ・シュピリッチ
面積
総計 51,129km(124位)
水面積率 極僅か
人口
総計(2004年) 4,007,608人(119位)
人口密度 78人/km
GDP(自国通貨表示)
合計(2005年) 138億兌換マルク
GDP(MER)
合計(2005年) 95億ドル(102位)
GDP(PPP)
合計(2003年) 243億9,000万ドル(93位)
1人当り 6,100ドル
独立
 - 日付
ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国より
1992年3月
通貨 兌換マルク(BAM)
時間帯 UTC +1(DST: +2)
ccTLD BA
国際電話番号 387

ボスニア・ヘルツェゴビナは、東ヨーロッパの国家、地域。首都はサラエボ。バルカン半島の北西に位置する共和国。クロアチア、セルビア、モンテネグロと国境を接する。ユーゴスラヴィアからの独立後、大多数のボシュニャク人、クロアチア人に対して少数派のセルビア人が分離独立を唱えてボスニア紛争を戦った。

目次

  • 1 国名
  • 2 歴史
    • 2.1 ボスニア・ヘルツェゴビナの誕生まで
    • 2.2 独立とその後
  • 3 政治
    • 3.1 国家元首
    • 3.2 国際的監督
    • 3.3 選挙
    • 3.4 NATO、EUへの加盟
  • 4 地方行政区分
  • 5 地理
  • 6 経済
  • 7 国民
  • 8 文化
    • 8.1 祝祭日
  • 9 出身者
    • 9.1 在外
  • 10 関連項目
  • 11 外部リンク
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国名

正式名称は、ボスニア語・クロアチア語で Bosna i Hercegovina(ボスナ・イ・ヘルツェゴヴィナ)、セルビア語で Босна и Херцеговина(ボスナ・イ・ヘルツェゴヴィナ)。

公式の英語表記は、Bosnia and Herzegovina。

日本語の表記は ボスニア・ヘルツェゴビナ、または ボスニア・ヘルツェゴヴィナ。

歴史

ボスニア・ヘルツェゴビナの誕生まで

現在のボスニア、ヘルツェゴビナには当初インドヨーロッパ語族のイリリア人が住んでいたが、紀元前1世紀にローマ帝国の支配下に入った。その後、6世紀後半からスラブ人が定住し始め、中世のころにはそれぞれ王国を形成していた。この地域は地理的環境から、カトリックと正教会の対立の最前線となり、両宗教の激しい布教争いの場となった。このため多くの人々はブルガリアから入ってきたボゴミル派に救いを求める。

12世紀後半にはボスニア王国がボスニア、ヘルツェゴビナを統治したが、15世紀後半までには全域がオスマン帝国の支配下に入る。それとともに大半のボゴミル教徒はイスラムに改宗し、他のバルカン諸国に例がないほど文化のトルコ化が進行した。16〜17世紀には、オスマン帝国がハプスブルク帝国、及びヴェネチア共和国と戦争を行った際に、ボスニアは重要な前哨基地としての役目を果たしている。

19世紀後半、オスマン帝国の衰退に伴い、バルカン半島はオーストリア・ハンガリー帝国とロシア帝国の勢力争いの場となる。1875年にボスニア蜂起が起きると、この反乱を口火として露土戦争が起こった。戦後、ロシアの南下政策にオーストリアとイギリスが反対したことにより1878年に開かれたベルリン会議によって、オーストリアはボスニア、ヘルツェゴビナ、サンジャクのオスマン帝国主権下の施政権を獲得する。オーストリアは1908年、ボスニア、ヘルツェゴビナ両地域を併合した。このことがセルビアの大セルビア主義、ロシアの汎スラブ主義を刺激し、第一次世界大戦の一因となる。

大戦後、サン・ジェルマン条約によりオーストリア・ハンガリー帝国は解体され、セルビアの南スラブ連合構想に基づいてセルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国が建国されると、ボスニア、ヘルツェゴビナはその一部となった。その後、ユーゴスラビア連邦人民共和国が成立すると、1946年にボスニアとヘルツェゴビナが統合され、ユーゴ連邦の構成共和国の一つとしてボスニア・ヘルツェゴビナが誕生した。

独立とその後

1991年にスロベニア、クロアチア、マケドニア共和国が相次いでユーゴスラビアからの独立を宣言すると、ボスニア・ヘルツェゴビナは同年10月に主権国家宣言を出した。しかし、そのことに対してイスラム教徒のボシュニャク人(血統や言語はセルビア人、クロアチア人とほとんど同じだが宗教が違う)・ローマ・カトリック教徒のクロアチア人と東方正教会のセルビア人の間で対立が深まった。翌1992年、ボスニア政府はセルビア人がボイコットする中で国民投票による独立を決め、3月に独立を宣言してユーゴスラビアから独立した。それに対し、セルビア人は5月にスルプスカ共和国の樹立を宣言し、ユーゴ連邦軍も介入したことで、本格的な内戦(ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争)に突入した。各民族は互いの領土伸張を巡って激しい戦闘を行ない、当時は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれるほどだった。その後、1994年のNATOによる制裁空爆を経て、1995年に国際連合の調停で和平に調印(デイトン和平合意)。ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国の連合国家となり、以後は民生面を上級代表事務所(OHR)、軍事面をNATO中心の多国籍部隊(SFOR)が担当し、停戦監視下に置かれ、治安も回復した。

2004年6月のNATO首脳会合で、各国首脳はボスニアの改善された治安を考慮し、SFORを2004年末で終了させることで合意した。2004年12月からはEUの部隊であるEUFOR(EU Force in Bosnia and Herzegovina)約7,000名がボスニアの治安を維持する目的で「アルテア作戦」(Operation Althea)を遂行している。

政治

国家元首

1996年以降、国家元首は大統領評議会議長であり、議長はボシュニャク人、クロアチア人、セルビア人の各民族代表が8ヶ月ごとに輪番で就任する。

国際的監督

詳細は上級代表事務所を参照 

ボスニア・ヘルツェゴビナには、デイトン和平合意に基いて、国際社会の監督機関として主要国の代表者からなる和平履行評議会(PIC)が設置され、同評議会の下に上級代表事務所(OHR)が置かれている(コソボにおける国際文民事務所(ICO)に相当)。上級代表事務所の長は上級代表(HR)であり、デイトン和平合意を実施するに際して必要と認められるときは、直接立法権、人事介入権を含む強力な内政介入権(「ボン・パワー」)を発動できる。

選挙

中央政府とボスニア連邦では、2000年に実施された国政選挙によって、紛争勃発後初めて社会民主党を中心とする非民族主義政権が誕生した。しかし、2002年10月の国政選挙では非民族主義政権が伸び悩み、大統領評議会員選挙では3名とも民族主義政党出身者が当選するなど、結果的に民族主義勢力が伸張した。現在、政党はすべて民族ごとに結成されており、それぞれが民族的利益を主張するため、国政運営上の障害となっている。

NATO、EUへの加盟

民族対立は完全に解消されたわけではないが、「欧州大西洋機構への統合」、即ちEU及びNATO加盟が民族を超えた共通の目的であり、ボスニア政府はこの目標に向かって国際社会の支援を得ながら諸改革に取り組んでいる。2000年12月、ボスニア・ヘルツェゴビナはユーゴスラビアとの間で正式な外交関係を樹立。警察改革や公共放送法の採択で進展があったため、EUは2005年11月7日に安定化連合協定締結交渉の開始を承認した。

地方行政区分

ボスニア・ヘルツェゴビナの地方行政区画および ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の県も参照

1995年のデイトン合意によりクロアチア人・ボシュニャク人が主体のボスニア・ヘルツェゴビナ連邦と、セルビア人が主体のスルプスカ共和国という二つの構成体(entity)から成るが、2000年にはその両方に属さないブルチコ行政区(Brčko distrikt)も存在すると明確化された。

歴史的には、北部のボスニアと、南部のヘルツェゴビナから成る。

ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦は、下記の10の県から成っている。

  • ウナ=サナ県(Una-Sana / Unsko-sanski kanton)
  • ポサヴィナ県(Posavina / Posavski kanton)
  • トゥズラ県(Tuzla / Tuzlanski kanton)
  • ゼニツァ=ドボイ県(Zenica-Doboj / Zeničko-dobojski kanton)
  • ボスニア・ポドリニェ県(Bosnian Podrinje / Bosansko-podrinjski kanton)
  • 中央ボスニア県(Central Bosnia Canton / Kanton Srednja Bosna)
  • ヘルツェゴビナ・ネレトヴァ県(Herzegovina-Neretva Canton / Hercegovačko-neretvanski kanton)
  • 西ヘルツェゴビナ県(West Herzegovina Canton / Zapadno-hercegovački kanton)
  • サラエボ県(Sarajevo Canton / Kanton Sarajevo / Kanton Sarajevo)
  • 第十県(Canton 10 / Zapadnobosanska Županija / Kanton 10)
  • 注:ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦ではボスニア語、クロアチア語、セルビア語が憲法の定める公用語となっている。上記県名は英語およびボスニア語で書かれている。セルビア語での名称はボスニア語と同一であり、キリル文字を使って書かれる。また、クロアチア語での名称は「県」を「Kanton」ではなく「županija」とするなど、これとは若干異なっている。

    地理

    国土はおおよそ三角形の形をしており、南部には海抜高度2,000mを超える山地が多い。アドリア海に沿ってディナル・アルプス(Dinaric Alps)などが伸びており、国土の南西部は石灰岩によるカルスト地形で乾燥している。アドリア海に面して海岸線が20km程伸びているが、港町のネウムに大きな港はない。国土の北部をサバ川、南部をネレドバ川が流れている。気候は、北部・ボスニアのサバ川流域を中心に大陸性気候、南部・ヘルツェゴビナのネレドバ川河口部が地中海性気候となっている。ボスニアは概して温暖だが冬は非常に寒く、一方のヘルツェゴビナ(特に石灰岩地帯)は10月〜1月の冬場にかけて雨が多く夏が非常に暑い。

    主要都市

    経済

    経済的には、オスマン帝国の支配時代から農業に大きく依存する貧困な地域であり、ユーゴスラビアの成立後もマケドニア共和国に次ぐ経済後進共和国であった。穀物栽培に適当な土壌が多いことから、かつては豆・タバコ・ザクロ・ぶどう・オリーブ・イチジク・メロンなどの農作物が栽培され、主要な羊の飼育地でもあった。しかし、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の影響から、農耕地の多くが現在の使用できなくなっている。

    現在の主要産業は林業、鉱業、繊維業などであり、GDPは70億ドル(2004年)、一人当たりにして1,732ドルである。林業では松・カヤ・ブナなどが産出され、鉱業ではボスニアで大理石・建築用の石材、及び鉄・石炭・銅・マンガン・鉛・水銀など多様な鉱物が、ヘルツェゴビナではアスファルト・褐炭がそれぞれ生産される。しかし、失業率は48%(2006年現在)とヨーロッパの中でもトップクラスであり、特に若年層の失業とインフォーマル経済による景気低迷が課題である。

    1992年の独立後、ボスニア政府はユーゴスラビア・ディナールに代わる独自の通貨の導入を決定した。しかし、ボスニア内戦時にはボシュニャク人支配地域ではボスニア・ディナール、セルビア人支配地域ではユーゴスラビア・ディナール、クロアチア人支配地域ではクーナがそれぞれ使用され、統一通貨の実施は遅れた。1998年1月、ボスニア政府は新通貨として兌換マルクを発表し、現在に至っている。

    国民

    住民はボシュニャク人が48%、クロアチア人が14%、セルビア人が37%などである。 それぞれの民族の差異は宗教と歴史的経緯によるものであって、血統(南スラヴ人)や言語(セルボクロアチア語)の面ではあまり差が無い。

    元々この地域には、ボシュニャク人、セルビア人、クロアチア人が概ね拮抗する割合で暮していた。その為、旧ユーゴスラビアが連邦制を実施する際、他の5つの共和国は主要民族に基づいて樹立されたのに対し、ボスニア・ヘルツェゴビナは地域を基礎として樹立された。

    言語は、公用語がボスニア語、クロアチア語、セルビア語である。各言語の違いはあまり大きくなく、方言程度のものである。これらの言語は、かつてセルボ・クロアチア語と呼ばれてひとくくりにされていた。ただしセルビア語はキリル文字、クロアチア語とボスニア語はラテン文字を用いる。

    宗教は、ボシュニャク人がイスラム教、クロアチア人がローマ・カトリック、セルビア人がセルビア正教会である。

    文化

    ボスニア・ヘルツェゴビナには世界遺産が二つある。モスタルにあるスタリ・モスト(古い橋)の周辺と、ヴィシェグラードのソコルル・メフメト・パシャ橋で、ともに橋を中心とする世界遺産である。

    祝祭日

    日付 日本語表記 現地語表記 備考
    1月1日、2日 元日
    5月1日、2日 メーデー

    ※ボスニア・ヘルツェゴビナでは国で統一した祝日の法律が存在しない。(イスラム教徒、セルビア人、クロアチア人の間で合意ができていないため)

    出身者

    在外

    関連項目

    外部リンク

    ウィキメディア・コモンズ
    政府 日系機関 旅行
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