| (国旗) | 国章 |
| 公用語 | スペイン語 | ||||||||||||||||||||
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| 首都 | テグシガルパ | ||||||||||||||||||||
| 最大の都市 | テグシガルパ | ||||||||||||||||||||
元首
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| 独立 - 日付 |
スペインより 1821年9月15日 |
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| 通貨 | レンピラ(A$)(HNL) | ||||||||||||||||||||
| 時間帯 | UTC -6(DST: -5) | ||||||||||||||||||||
| ccTLD | HN | ||||||||||||||||||||
| 国際電話番号 | 504 | ||||||||||||||||||||
ホンジュラス共和国(ホンジュラスきょうわこく)、通称ホンジュラスは、中央アメリカ中部に位置する共和制国家である。西にグアテマラ、南西にエル・サルバドル、南東にニカラグアと国境を接しており、北と東はカリブ海、南はフォンセカ湾を経て太平洋に面している。大陸部のほかに、カリブ海岸にスワン諸島、バイーア諸島を領有している。首都はテグシガルパ。
目次
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正式名称は、スペイン語でRepública de Honduras。通称、Honduras。
公式の英語表記は、Republic of Honduras。通称、Honduras。
日本語の表記は、ホンジュラス共和国。通称、ホンジュラス。
「ホンジュラス」は英語の発音であり、ホンジュラスの国民自身は自国名を「オンドゥラス」と発音する。この名の由来は、クリストバル・コロンが1502年にこの地に上陸しようとして、船の碇を降ろしたが、海底まで届かなかったため、この地を "hondura" (スペイン語で「深さ」、「深み」を意味する名詞)と名付けたことによるという説が最も有名で、一般的であるが、その他にもホンジュラス北西部の海岸に多くのヒカロの木が沈んでいたためなどの説がある。
先古典期段階では、オルメカ文明の影響力が強く、例えば、北東部コロン県にあるクヤメル洞窟がオルメカ文明に並行する紀元前1200年から同400年頃に埋葬がなされ、オルメカ様式の長頸壺や「炎の眉」をもつ蛇を刻んだ鉢などが確認されている。やや時代が下って前800年頃に国土の西端にあるモタグァ川流域のコパンでもグループ9N-8などでやはり同様な遺物が確認されている。先古典期中期から終末にかけて、コパンより東方のヨホア湖北岸にあるロス・ナランホス、ホンジュラス中央部ラパス県に位置するヤルメラが建設された。後者は、30haもの規模を持つ大センターで、現在のところ15基の建造物が確認されている。そのうち建造物101号は、南北70m,東西110m、高さ20mに達する壮大なピラミッドであった。一方、ロス・ナランホスでは、高さ19mに達するピラミッドが築かれ、周囲には、幅20m深さ7mで全長2kmを超える堀や防壁がめぐらされた。
古典期にはいると、モタグァ川流域のコパンで、426年にテオティワカンの影響を強く受けた人物[1]キニチ・ヤシュ・クック・モーが新王朝を興した。コパンの全盛は、第12代の「煙イミシュ」(位628年〜695年)と13代の「18ウサギ」ないしワシャクラフン・ウバフ・カウィール(位695年〜738年)のときで、神殿20,21,22と新しい球戯場を築くとともに、モタグア川上流、現グアテマラ領東端のキリグアに「カウアク空」ないしカック・ティリウを擁立し、その勢威を誇った。しかし、738年に当のカック・ティリウのために殺害され、以後コパンは衰退することになる。ただし、15代の「煙貝」もしくはカック・イピヤフ・チャン・カウィール(位749年〜761年?)の築いた神殿26号の「神聖文字の階段」が753年に完成し、16代のヤシュ・パサフ(位763年〜810年?)が、776年に16代にわたる王の肖像を刻んだ祭壇Qを刻んだことが特記される。コパンが没落すると衛星都市が紋章文字をもつようになって一時的に繁栄するが古典期の終末までには放棄されていく。
1502年にはコロンが4度目の航海で到来、1519年にスペイン人エルナン・コルテスがアメリカ大陸に上陸。1521年のアステカ帝国征服の余勢を駆ってこの地も征服した。
スペイン人がインディヘナを武力で服従させると、グアテマラ総督領として支配を行った。この地から豊富な金や銀などが産出するとスペイン人の植民が進んだ。インディヘナの中で最も大きな反スペイン運動となったのは、レンピーラというカシーケ(酋長)が1537年に起こしたものだったが、この反乱が鎮圧されると以降植民地化が進み、ホンジュラスもグアテマラ総督領の一部に組み入れられた。
19世紀前半にはインディアス植民地各地のクリオージョ達の間で独立の気運が高まった。1789年のフランス革命以来のヨーロッパの政治的混乱の中、ナポレオン戦争により1808年からスペイン本国で半島戦争が勃発した。フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトがボルボン朝のフェルナンド7世を退位させ、兄のジョゼフをスペイン王ホセ1世に据えると、インディアス植民地は偽王への忠誠を拒否した。1811年から独立闘争が本格化し、1820年のスペイン本国で自由主義者によるリエゴ革命が起きた翌1821年9月15日にグアテマラ総督領が独立すると、同年独立したアグスティン・デ・イトゥルビデ皇帝の第一次メキシコ帝国と合併したが、1823年には中米連邦に加盟した。
ホンジュラス出身のフランシスコ・モラサン将軍は自由主義のエル・サルバドル派として、連邦維持を目的に、ラファエル・カレーラ将軍の率いる保守主義のグアテマラ派との戦いを続けたが、1838年に中米連邦が瓦解すると「ホンジュラス共和国」として独立した。現在もモラサン将軍はホンジュラスで特別の地位を占めている。
20世紀に入るまで、周辺諸国と国境紛争が頻発した。 1855年、ニカラグアでアメリカ合衆国南部人のウィリアム・ウォーカーが大統領になる事件があり、中米諸国は団結してウォーカーを排除することに決めた。 この国民戦争でウォーカーは敗北したが、その後ウォーカーは再び中米の主人となるためにこの国に上陸し、イギリス海軍に捕らえられ、トルヒージョで処刑された。
1933年にティブルシオ・カリアス・アンディーノ将軍の軍事独裁が始まり、この独裁政権は17年間続いた。
また、アメリカの石油会社がニカラグア国境付近で油田を発見したことがきっかけとなって、1957年5月、ソモサ王朝体制のニカラグアと国境紛争を行っている。ホンジュラス東部が戦場となったこの紛争は、7月21日に問題をハーグ国際司法裁判所に提訴することにより、解決が図られた。
第二次世界大戦後の政情は不安定で、軍事政権が相次いで成立した。1969年にはエル・サルバドルと、いわゆる「サッカー戦争」を起こしている。
1979年のニカラグア革命後、ホンジュラスはニカラグアのサンディニスタ政権に対するコントラの最も有力な基地となり、アメリカ陸軍、アメリカ空軍、イスラエル国防軍、アルゼンチン陸軍など多くの反共国家の軍隊がホンジュラスに駐留した。
1981年には民政移管に成功し、選挙の結果自由党政権が成立したが、その後もコントラの基地としての立場に変わりはなかった。続いて1985年にアスコナ政権が成立するとアメリカに接近し、軍事経済関係が強化された。
1993年にはレイナ政権が成立し、コスタリカのような軍を廃止した民主主義路線を展開した。[要出典]
自由党と国民党の二大政党制が二十世紀初頭から続いており、長い軍事政権の歴史もあるものの、基本的に現在もこの構図は変わっていない。
保守的な国民性で、コスタリカ程ではないものの中米では比較的安定した国家であり、1970年代から1980年代の中米紛争の最中にも、エル・サルバドル内戦、グアテマラ内戦、ニカラグア内戦のように悲惨な内戦を起こす事はなかった。
詳細はホンジュラスの行政区画を参照
ホンジュラスの地方行政は、18の県(departamentos)と、その下の298の市町村からなる。右側の数字はアルファベット順に並べている。
基本的に熱帯であり、カリブ海岸低地は高温多湿の気候であるものの、国土の80%弱を占める山岳地帯、特に国土主要部の標高1,000mから1,500mの高原地域では常春に近い気候になる。
最も高い山はセラケ山であり、標高は2,850mになっている。地震による被害は少ないが、ハリケーンによる被害は他の中米・カリブ海諸国と共通である。
南西部カリブ海岸のニカラグアにまで続くモスキート海岸の一部であるモスキータ地方には未開の熱帯雨林が広がり、プラタノ川流域は世界遺産となっている。
ホンジュラス軍は兵員12,000人程。徴兵制は廃止され、1995年から志願兵制が導入された。1999年、ホンジュラス軍は治安回復のために投入された。
1980年代以降、軍の政治的影響力はかつてに比べれば小さくなった。
ホンジュラスは歴史的にニカラグアと並んで中央アメリカでも最も貧しい国であり、西半球で十番以内に貧しい国であると同時に世界最貧国の一つでもある。GDP成長は非常に緩やかであり、国民の半数以上が貧困線以下の生活を強いられていると推測され、失業者数は実に120万人近いと見積もられている。
この国の経済は、アメリカ資本(具体的にはユナイテッド・フルーツとスタンダード・フルーツ)がカリブ海岸熱帯低地で始めたバナナプランテーション産業に依存してきた。そのため、バナナ共和国と世界で最初に呼ばれた国家であり、現在もそう呼ばれる。
また、バナナは多くの労働力を必要としたためサルバドル人の農業移民を引き寄せ、これがサッカー戦争の一因ともなった。ホンジュラス最大の産業都市、サン・ペドロ・スーラの発展はバナナの発展によるといっても過言ではない。
主な住民は、メスティーソが90%、 インディヘナ が7%、黒人が2%、白人が1%となっており、圧倒的にメスティーソの多い国である。
先住民としては、かつてはコパン遺跡を築いたマヤ系の民族が多かったはずだが、現在は7つの公認された民族集団に分化し、特にカリブ海岸にミスキート族、レンカ族、ガリフナ族など黒人の影響のある先住民がおり、ホンジュラスのミスキート族は隣国ニカラグアのミスキート族と連続した社会を形成している。
アフリカ系ホンジュラス人は主にカリブ海岸の低地に居住しており、多くは西インド諸島、から植民地時代に移入された奴隷の子孫であり、19世紀にはジャマイカからの黒人労働者の移住も進んだ。
パレスチナ人、アラブ人、中国人、韓国人、ベトナム人、日本人などの移住もあった。
1970年代の半ばから、多くのホンジュラス人が職を求めて海外に出て行ったので、ホンジュラス人の多くはメキシコ、ニカラグア、スペイン、カナダ、そして特にアメリカ合衆国に住む親戚を持っている。
公用語はスペイン語である。カリブ海側の黒人や先住民によって英語やミスキート語、ガリフナ語などが話される。
宗教構成は、カトリック(94%)、プロテスタント・その他(各6%)である。
ホンジュラス国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が1件、自然遺産が1件ある。詳細は、ホンジュラスの世界遺産を参照。
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リオ・プラタノ生物圏保護区 - (1980年、自然遺産) |
コパンのマヤ遺跡 - (1982年、文化遺産) |
| 日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1月1日 | 元日 | Año nuevo | |
| 3月19日 | 父の日 | Día del Padre | |
| 5月1日 | メーデー | Día de los trabajadores | |
| 5月第二日曜日 | 母の日 | Día de la Madre | |
| 9月10日 | 子供の日 | Dia del Niño | |
| 9月15日 | 独立記念日 | Día de la Independencia | 中央アメリカ独立の日 |
| 9月17日 | 師の日 | Día del Maestro | |
| 10月3日 | フランシスコ・モラサン将軍生誕の日 | Nacimiento del General Francisco Morazán | 兵士の祝日でもある |
| 10月12日 | 民族の日 | Día de las Américas | |
| 12月24日 | クリスマス | Día de la familia |
サッカーは最もホンジュラスで人気のあるスポーツとなっている。
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|---|---|
| アングロアメリカ | アメリカ合衆国 | カナダ |
| 中央アメリカ | エルサルバドル | グアテマラ | コスタリカ | ニカラグア | パナマ | ベリーズ | ホンジュラス | メキシコ |
| 西インド諸島 | アンティグア・バーブーダ | キューバ | グレナダ | ジャマイカ | セントクリストファー・ネイビス | セントビンセント・グレナディーン | セントルシア | ドミニカ共和国 | ドミニカ国 | トリニダード・トバゴ | ハイチ | バハマ | バルバドス |
| 南アメリカ | アルゼンチン | ウルグアイ | エクアドル | ガイアナ | コロンビア | スリナム | チリ | パラグアイ | ブラジル | ベネズエラ | ペルー | ボリビア |
| 地域 | アメリカ合衆国:米領ヴァージン諸島 - プエルトリコ | イギリス:アンギラ - 英領ヴァージン諸島 - ケイマン諸島 - タークス・カイコス諸島 - バミューダ諸島 - フォークランド諸島 - モントセラト | オランダ:アルバ - 蘭領アンティル | デンマーク:グリーンランド | フランス:グアドループ - サン・バルテルミー島 - サン・マルタン島 - サンピエール島・ミクロン島 - 仏領ギアナ - マルティニーク |
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