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トルコ共和国についての情報


トルコ共和国 Türkiye Cumhuriyeti
トルコの国旗 トルコの国章
(国旗) 国章
国の標語 : Yurtta Sulh, Cihanda Sulh
(トルコ語: 内に平和、外に平和) 国歌 : 独立行進曲 トルコの位置
公用語 トルコ語
首都 アンカラ
最大の都市 イスタンブル
元首
大統領 アブドゥッラー・ギュル
首相 レジェップ・タイイップ・エルドアン
面積
総計 780,580km(36位)
水面積率 1.3%
人口
総計(2004年) 68,893,918人(17位)
人口密度 88人/km
GDP(自国通貨表示)
合計(2007年) 5,953億新トルコリラ
GDP(MER)
合計(2005年) 3,402億ドル(21位)
GDP(PPP)
合計(2007年) 5,953億ドル(22位)
1人当り 9,063ドル
建国
 - 宣言
共和制宣言
1923年10月29日
通貨 新トルコリラ(TRY)
時間帯 UTC +2(DST: +3)
ccTLD TR
国際電話番号 90

トルコ共和国(トルコきょうわこく)、通称トルコ(土耳古)は西アジアのアナトリア半島(小アジア)と東ヨーロッパのバルカン半島東端の東トラキア地方を領有する、アジアとヨーロッパの2つの州にまたがる共和国。首都はアナトリア中央部のアンカラ。 北は黒海、南は地中海に面し、西でブルガリア、ギリシアと、東でグルジア、アルメニア、イラン、イラク、シリアと接する。

国土の大半の部分はアナトリア半島にあたり、国民の99%がスンナ派イスラム教を信仰するため、日本の地域区分では地理的な位置と、欧州即ちキリスト教というステレオタイプから中東、西アジアに含めることがほとんどであるが、サッカー協会やオリンピック委員会などではヨーロッパの統一団体に属す。経済的、政治的にもヨーロッパの一員として扱われることがあり、現在欧州連合(EU)へ加盟申請中である。現在欧州でイスラム教徒が人口の過半数を占めている国家はトルコとアルバニアのみである。

目次

  • 1 国名
  • 2 歴史
  • 3 政治
    • 3.1 軍事
    • 3.2 地方行政区分
  • 4 地理
    • 4.1 主な都市
  • 5 経済
    • 5.1 工業
    • 5.2 農業
    • 5.3 鉱業
    • 5.4 経済成長
    • 5.5 貿易
    • 5.6 交通
  • 6 国民
    • 6.1 教育
  • 7 文化
    • 7.1 スポーツ
  • 8 関連項目
  • 9 トルコの写真
  • 10 参考文献
  • 11 外部リンク
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国名

トルコ語による正式国名は、Türkiye Cumhuriyeti(テュルキエ・ジュムフリイェティ)、通称Türkiye(テュルキエ)。

公式の英語表記は、Republic of Turkey。通称Turkey(ターキー。七面鳥を意味する単語と全く同じ綴りおよび発音だが、文章の場合国名の頭文字は大文字、鳥は文頭に来ない限り頭文字が小文字のため区別される)。

英語など諸外国語では、トルコ共和国の前身であるオスマン帝国の時代から、この国家をTurkey, Turquieなど、「トルコ人(Turk, Turc)の国」を意味する名で呼んできたが、トルコ共和国の前身で、元来多民族国家であったオスマン帝国の側では「オスマン国家」、「オスマン家の王朝」などの名称が国名として用いられており、自己をトルコ人の国家と認識することはなかった。トルコ語で「トルコ人」を意味するTürkにアラビア語起源の抽象名詞化語尾-iyeを付したTürkiyeは近代になってヨーロッパから「トルコ人の国」概念を逆輸入して考案された名詞である。

第一次世界大戦後、国土が列強に分割されほぼアナトリア半島のみに縮小したオスマン帝国に代わって新しい政権を打ち立てた人々は、初めてTürkiyeを国名とし、かつてのオスマン国家は、他称においても自称においても「トルコ人の国」であるトルコ共和国となる。

なお、Türk(テュルク)は、アナトリアへの移住以前、中央アジアで暮らしていたトルコ人が、モンゴル高原を中心とする遊牧帝国、突厥を築いた6世紀ころにはすでに使われていた民族名だが、語源は明らかではない。現在のトルコ共和国では一般に、突厥の建国を以って「トルコの建国」と考えている。

日本語名のトルコは、西欧の諸言語でトルコ人を意味するトゥルク(Turk, Turc)の変形である。漢字土耳古は、この音を中国語で音訳した「Tŭ'rgŭ」に由来する。

歴史

詳細はトルコの歴史を参照

トルコの国土の大半を占めるアジア側のアナトリア半島(小アジア)とトルコ最大の都市であるヨーロッパ側のイスタンブルは、古代からヒッタイト・フリュギア・リディア・ビザンツ帝国などさまざまな民族・文明が栄えた地である。

11世紀に、トルコ系のイスラム王朝、セルジューク朝の一派がアナトリアに立てたルーム・セルジューク朝の支配下で、ムスリム(イスラム教徒)のトルコ人が流入するようになり、土着の諸民族とが対立・混交しつつ次第に定着していった。彼らが打ち立てた群小トルコ系君侯国のひとつから発展したオスマン朝は、15世紀にビザンツ帝国を滅ぼしてイスタンブルを都とし、東はアゼルバイジャンから西はモロッコまで、北はウクライナから南はイエメンまで支配する大帝国を打ち立てる。

19世紀になると、衰退を示し始めたオスマン帝国の各地では、ナショナリズムが勃興して諸民族が次々と独立してゆき、帝国は第一次世界大戦の敗北により完全に解体された。しかしこのとき、戦勝国の占領を嫌ったトルコ人たちはアンカラに抵抗政権を樹立したムスタファ・ケマル(アタテュルク)のもとに結集して戦い、現在のトルコ共和国の領土を勝ち取った。

1923年、アンカラ政権は共和制を宣言。翌1924年にオスマン王家のカリフをイスタンブルから追放して、西洋化による近代化を目指すイスラム世界初の世俗主義国家トルコ共和国を建国した。第二次世界大戦後、ソ連に南接するトルコは、反共の防波堤として西側世界に迎えられ、NATO、OECDに加盟する。国父アタテュルク以来、トルコはイスラムの復活を望む人々などの国内の反体制的な勢力を強権的に政治から排除しつつ、西洋化を邁進してきた(ヨーロッパ評議会への加盟、死刑制度の廃止など)が、その最終目標であるEUへの加盟にはクルド問題やキプロス問題、アルメニア人虐殺問題、ヨーロッパ諸国の反トルコ・イスラム感情などが大きな障害となっている。

政治

詳細はトルコの政治、トルコの法制度、トルコの国際関係をそれぞれ参照

1982年に定められた現行の憲法では、世俗主義(政教分離原則)が標榜されている。三権は分立しており、立法府として一院制のトルコ大国民議会(Türkiye Büyük Millet Meclisi 定数550名、任期5年)が強い権限をもつ。行政は議会によって選出される国家元首の大統領(任期7年)が務めるが、首相の権限が強い議院内閣制に基づいている。司法府は、下級審である司法裁判所、刑事裁判所、および控訴審である高等控訴院、憲法裁判所で構成され、通常司法と軍事司法に分離されている。

政治は多党制の政党政治を基本としているが、政党の離合集散が激しく、議会の選挙は小党乱立を防ぐため、10%以上の得票率を獲得できなかった政党には議席がまったく配分されない独特の方式をとっている。この制度のために、2002年の総選挙では、選挙前に中道右派・イスラム派が結集して結党された公正発展党と、野党で中道左派系・世俗主義派の共和人民党の2党が地すべり的な勝利を収め、議席のほとんどを占めている。2007年7月22日に実施された総選挙では、公正発展党(AKP)が前回を12ポイントを上回る総得票率47%を獲得して圧勝した。共和人民党が議席を減らし、112議席を獲得。極右の民族主義者行動党(MHP)が得票率14.3%と最低得票率10%以上の票を獲得し71議席を獲得、結果的に公正発展党は340議席となり、前回より12議席を減らすこととなった。独立候補は最低得票率の制限がなく、クルド系候補など27議席を獲得した。

外交面では、北大西洋条約機構(NATO)加盟国として伝統的に西側の一員である。

EUとトルコ
EUとトルコ

また、外交面では欧州連合(EU)への加盟を長年の目標としてきた。2002年に政権についた公正発展党は、イスラム系を中心とする政党ながら軍との距離を慎重に保って人権問題を改善する改革を進めてきた。2004年には一連の改革が一応の評価を受け、条件付ではあるものの欧州委員会によって2005年10月からのEUへの加盟交渉の開始が勧告された。しかし、その後のEU加盟交渉はさまざまな要因から停滞している。

Maslak - Istanbul
Maslak - Istanbul

国父ケマル・アタテュルク以来強行的に西欧化を押し進めてきたトルコでは、その歴史においてケマルをはじめ、政治家を数多く輩出した軍がしばしば政治における重要なファクターとなっており、政治や経済の混乱に対してしばしば圧力をかけている。1960年に軍は最初のクーデターを起こしたが、その後、参謀総長と陸海空の三軍および内務省ジャンダルマ(憲兵隊)の司令官をメンバーに含む国家安全保障会議(Milli Güvenlik Kurulu)が設置され、国政上の問題に対して内閣に圧力をかける実質上の政府の上位機関と化しているが、このような軍部の政治介入は、国民の軍に対する高い信頼に支えられていると言われる。1980年の二度目のクーデター以降、特にイスラム派政党の勢力伸張に対して、軍は「ケマリズム」あるいは「アタテュルク主義」と呼ばれるアタテュルクの敷いた西欧化路線の護持を望む世俗主義派の擁護者としての性格を前面に打ち出している。軍は1997年にイスラム派の福祉党主導の連立政権を崩壊に追い込み、2007年には公正発展党による同党副党首の大統領選擁立に対して懸念を表明したが、この政治介入により国際的な非難を浴びた。8月29日には、議会での3回の投票を経てアブドゥラー・ギュル外相が初のイスラム系大統領として選出された。

軍事

トルコには軍事組織として、陸軍・海軍・空軍で組織されるトルコ軍(Türk Silahlı Kuvvetleri)と内務省に所属するジャンダルマ(憲兵隊、Jandarma)・沿岸警備隊(Sahil Güvenlik)が置かれている。トルコは良心的兵役拒否を認めない完全な国民皆兵制度(ただし男性のみ)をとっているため兵員定数はないが、三軍あわせておおむね65万人程度の兵員数である。また、ジャンダルマ・沿岸警備隊は戦時にはそれぞれ陸軍・海軍の指揮下にはいることとされている。ただし、ジャンダルマについては、平時から陸軍と共同で治安作戦などを行っている。

指揮権は平時には大統領に、戦時には参謀総長(Genelkurmay Başkanı)に属すると憲法に明示されており、戦時においてはトルコには文民統制は存在しない。また、首相および国防大臣には軍に対する指揮権・監督権は存在しない。ただし、トルコ軍は歴史的にも、また現在においてもきわめて政治的な行動をとる軍隊であり、また、国防予算の15%程度が議会のコントロール下にない軍基金・国防産業基金等からの歳入であるなど、平時においてもトルコ軍に対する文民統制には疑問も多い。

軍事同盟には1952年以降NATOに加盟し、1992年以降はWEUに準加盟している。また、1979年それ自体が崩壊するまでCENTO加盟国でもあった。2国間同盟としては1996年、イスラエルと軍事協力協定および軍事産業協力協定を締結しており、1998年には実際にアメリカ合衆国・イスラエル・トルコの3国で共同軍事演習が行われた。

トルコ南東部においてはPKKとの戦闘状態が長年続いている。特に近年はイラク北部に拠点を構えるPKKを掃討する目的で、陸軍によるイラク国内への侵攻や空軍による越境空爆などがしばしば実行されている。

地方行政区分

詳細はトルコの地方行政区画を参照

トルコの地方行政制度はオスマン帝国の州県制をベースとしてフランスに範をとり、全土を県(il)と呼ばれる地方行政区画に区分している。1999年以降の県の総数は81である。各県には中央政府の代理者として知事(vali)が置かれ、県の行政機関(valilik)を統括する。県行政の最高権限は4年任期で民選される県議会が担い、県知事は県議会の決定に従って職務を遂行する。

県の下には民選の首長を有する行政機関(belediye)をもった市(şehir)・郡(ilçe)があり、郡の下には自治体行政機関のある市・町(belde)と、人口2000人未満で自治体権限の弱い村(köy)がある。イスタンブル、アンカラなどの大都市行政区(büyük şehir)は、市の中に特別区に相当する自治体として区(ilçe)とその行政機関(belediye)を複数もち、都市全体を市自治体(büyük şehir belediyesi)が統括する。

地理

国土はヨーロッパ大陸とアジア大陸にまたがり、北の黒海と南のエーゲ海・地中海を繋ぐボスポラス海峡・マルマラ海・ダーダネルス海峡によって隔てられる。アナトリア半島は中央に広大な高原と海沿いの狭小な平地からなり、高原の東部はチグリス川・ユーフラテス川の源流である。東部イラン国境近くにはヴァン湖とアララト山がある。国内最高所は標高5166mである。

気候帯は内陸は冷帯気候・ステップ気候で夏は乾燥し、冬は寒く積雪が多い。地中海沿いなど海に近い部分は地中海性気候で、オリーブなどの生産が盛んである。

トルコは国内に多くの断層をもつ地震国であり、1999年にはイズミルからイスタンブルにかけてのマルマラ海沿岸の人口密集地で大規模地震が起こり、大きな被害を受けた。なお、他の地震国の多く同様、国内に数多くの温泉が存在し、中にはヒエラポリス-パムッカレなど世界遺産の中に存在するものもある。

主な都市

トルコのサテライトイメージ

トルコの都市人口率は2003年時点で66.3%であり、世界平均より20ポイント高く、比較的都市への人口集中が進んでいるといえる。三大都市圏として2大陸にまたがるイスタンブル(都市的地域人口955万5000人、2003年)、首都アンカラ(372万9000人)、港湾都市イズミル(229万9000人)が挙げられる。都市的地域人口が100万人を超える都市は、ブルサ、アダナ、同50万人を超える都市は、ガズィアンテプ、コンヤ、アンタルヤ、ディヤルバクル、イチェル、カイセリである。このうち、アナトリア高原など山岳部に位置する都市は、アンカラ、ガズィアンテプ、コンヤ、ディヤルバクル、カイセリ。国の東部には小規模な都市が目立ち、特に東北部、または黒海沿岸には都市への人口の集中があまりみられない。

経済

詳細はトルコの経済を参照

産業は近代化が進められた工業・商業と、伝統的な農業とからなり、農業人口が国民のおよそ40%を占める。漁業も目立たないが沿岸部では比較的盛んで、領海問題や公海上の漁獲量をめぐる国際問題が起きることもある。現在日本国内でトルコリラ建ての外貨預金を商品化しているのは香港上海銀行のみ。

工業

工業は軽工業が中心で、繊維・衣類分野の輸出大国である。近年では、世界の大手自動車メーカーと国内の大手財閥との合弁事業が大きな柱となっており、ヨーロッパ向け自動車輸出が有力な外貨獲得源になっている。具体的には、国内最大の財閥であるサバンジュ財閥と日本のトヨタ自動車、国内2位の財閥であるコチ財閥とイタリアのフィアット、国内4位の財閥であるオヤック財閥とフランスのルノーがあげられる。また、コチ財閥のアルチェリッキ・ベコ、ゾルル財閥のヴェステルなど、家電・エレクトロニクス部門の成長も期待されている。

農業

ただし、工業化が進んでいるのは北西部のマルマラ海沿岸地域がほとんどで、観光収入の多い地中海・エーゲ海沿岸地域と、首都アンカラ周辺地域以外では農業の比重が大きい。とくに東部では、地主制がよく温存されているなど経済近代化の立ち遅れが目立ち、農村部の貧困や地域間の経済格差が大きな問題となっている

鉱業

トルコの国土は鉱物資源に恵まれている。有機鉱物資源では石炭の埋蔵量が多い。2002年時点では亜炭・褐炭の採掘量が6348万トンに達した。これは世界シェアの7.0%であり、世界第6位に位置する。しかしながら高品位な石炭の生産量はこの1/20に過ぎない。原油(252万トン)と天然ガス(12千兆ジュール)も採掘されている。

金属鉱物資源では、世界第2位(200万トン、世界シェア17.9%)のマグネシウムをはじめ、アンチモン、金、鉄、銅、鉛、ボーキサイトを産出する。

しかしながら、石炭は発電など燃料として国内で消費し、石油の生産量は国内消費をまかなう量がないこと、マグネシウムの国際価格が低迷していることから、同国の輸出に占める鉱物資源の割合は低く、4%程度(2002年時点)に過ぎない。

経済成長

1990年代の後半から経済は低調で、政府は巨額の債務を抱え、国民は急速なインフレーションに悩まされている。歴代の政権はインフレの自主的な抑制に失敗し、2000年からIMFの改革プログラムを受けるに至るが、同年末に金融危機を起こした。この結果、トルコリラの下落から国内消費が急激に落ち込んだ。

2002年以後は若干持ち直し、実質GNP成長率は5%以上に復調、さらに同年末に成立した公正発展党単独安定政権のもとでインフレの拡大はおおよそ沈静化した。2005年1月1日には100万トルコリラ(TL)を1新トルコリラ(YTL)とする新通貨を発行し、実質的なデノミネーションが行われた。

貿易

トルコの貿易は慢性的に赤字が続いている。2003年時点では輸出466億ドルに対し、輸入656億ドルであった。ただし、サービス収支、例えば観光による収入(90億ドル、2002年)、所得収支、例えば海外からの送金などが多額に上るため、経常収支はほぼバランスが取れている。

輸出・輸入とも過半数を工業製品が占める。世界第2位の生産量を占める毛織物のほか、毛糸、綿糸、綿織物、化学繊維などの生産量がいずれも世界の上位10位に含まれる、厚みのある繊維産業が輸出に貢献している。衣料品を輸出し、機械類を輸入するという構造だ。

輸出品目では工業製品が83.2%を占め、ついで食料品9.9%、原材料・燃料5.0%である。工業製品では衣類21.1%、繊維・織物11.1%、自動車 10.5%、電気機械8.6%が主力。鉄鋼も輸出している。輸出相手国はヨーロッパ圏が主力であり、ドイツ15.8%、アメリカ合衆国7.9%、連合王国 7.8%、イタリア6.8%、フランス6.0%の順である。日本に対する最大の輸出品目はマグロ (21.7%)、ついで衣料品である。

輸入品目でも工業製品が65.9%に達する。ついで原材料・燃料21.3%、食料品4.0%だ。品目別では機械類13.4%、電気機械9.2%、自動車 7.7%、原油6.9%、繊維・織物5.0%である。輸入相手国も欧州が中心だ。ドイツ13.6%、イタリア7.9%、ロシア7.9%、フランス 6.0%、連合王国5.0%の順である。日本からの最大の輸入品目は乗用車 (12.1%)、ついで自動車用部品である。

交通

トルコにおいて交通の中心となっているのは、旅客・貨物ともに陸上の道路交通である。鉄道は国鉄(TCDD)が存在し10,940kmの路線を保有・運営しているが、きわめて便が少なく不便である。また、駅舎・路線・その他設備は整備が不十分で老朽化が進んでいる。2004年には国鉄は最高時速160kmの新型車両を導入したが、7月にその新型車両が脱線事故を起こし39名の死者を出した。これは、路線整備が不十分なまま新型車両を見切り発車的に導入したことが原因といわれている。この事故は国鉄の信頼性を一層低下させ、その後鉄道乗客数は激減している。2007年、4月23日、エスキシェヒール〜アンカラ間にて高速鉄道が開通した。

トルコ政府は道路整備を重視しており、トルコ国内の道路網は2004年現在63,220kmにおよんでいる。また、イスタンブル・アンカラを結ぶ高速道路(Otoyol)も完成間近である。貨物輸送はもちろん、短距離・長距離を問わず旅客輸送の中心もバスによる陸上輸送が中心で、大都市・地方都市を問わずトルコの都市にはかならず長距離バスターミナル(Otogal/Terminal)が存在し、非常に多くのバス会社が多数の路線を運行している。また、世俗主義国家であるとはいえイスラム教国であるため、これらのバスでは親子や夫婦などを除き男女の相席をさせることはまずない。

トルコでは雇用所得がまだ低いことや、高額の自動車税(1600cc未満28%、1600cc以上40%)、非常に高価なガソリン価格(2008年現在1リットル当たり3.15YTL(約280円)程度)のために、自家用車の普及はあまり進んでいない。また、農村部においては現在でも人的移動や農作物の運搬のためにトラクターや馬を用いることはごく普通である。農村部や地方都市において露天バザールが開催される日には、アンカラやイスタンブルとはかけ離れたこれらの光景をよく目にすることができる。

国民

トルコ共和国の位置するバルカン半島やアナトリア半島は、古来より多くの民族が頻繁に往来した要衝の地であり、複雑で重層的な混血と混住の歴史を繰り返してきた。現在のトルコ共和国成立の過程にも、これらの地域事情が色濃く反映されている。

トルコ共和国以前に存在した多民族国家のオスマン帝国では、このような地域事情を反映し、民族や出自に対する意識が希薄であった。代わりに各自の信奉するイスラム教やキリスト教といった宗教こそが、永らく人々のアイデンティティ形成と維持に主導的な役割を果たしてきたといえる。このため、国民国家としてのトルコ共和国成立に伴い、国内における民族意識の醸成が急務となっていたが、国内最大多数派であるトルコ人ですら、何をもってトルコ人と定義するのかを画一的に判断することが非常に困難であった。このことは、1830年のギリシャ独立以降、トルコと隣国ギリシャ間でバルカン半島とアナトリア半島をめぐり領土紛争の勃発する要因となり、1922年に紛争の抜本的解決を目的に締結された住民交換協定では、トルコ国内に住む正教会信者のトルコ語話者は「ギリシャ人」、逆にギリシャ国内に住むイスラム教徒のギリシャ語話者は「トルコ人」と規定され、それぞれの宗教が多数派を形成する国々への出国を余儀なくされている。

こうした経緯もあり、長年国内の民族構成に関する正確な調査が実施されず、トルコ政府は、国内に居住するトルコ国民を一体として取り扱い、国民はすべてトルコ語を母語とする均質な「トルコ人」であるという建前を取っていた。しかしながら、実際には共和国成立以前から東部を中心にクルド人をはじめ多くの少数民族が居住する現状を否定することができず、現在では、民族的にトルコ人ではない、あるいはトルコ語を母語としない国民も国内に一定割合存在することを公式に認めている。

少数派の民族としては、クルド人、アラブ人、ラズ人、ギリシャ人、アルメニア人、ヘムシン人、ザザ人、ガガウズ人などが共和国成立以前から東部を中心に居住している。特に、クルド人はトルコ共和国内でトルコ人に次ぐ多数派を構成しており、その数は数百万人とも、一千万人を超えるとも言われている。かつてトルコ政府はトルコ国内にクルド人は存在しないとの立場から、クルド語での放送・出版を禁止する一方、「山岳トルコ人」なる呼称を用いるなど、差別的に取り扱いしていた。しかしながら、現在では少数民族の存在を認める政府の立場から、山岳トルコ人という呼称は用いられることがない。2004年にはクルド語での放送・出版も公に解禁され、旧民主党(DEP:共和人民党から分離した民主党(DP)とは別組織)ザナ党首の釈放と同日に、国営放送第3チャンネル(TRT3)においてクルド語放送が行われた。

なお、クルド人はいわゆる北部クルディスタン(南東アナトリア地域)にのみ偏在しているわけではなく、地域により格差はあるものの、トルコ国内の81県全域にある程度のまとまりを持った社会集団として分布している。実際、クルド系政党民主国民党(DEHAP)はトルコ全域で政治活動を展開し、総選挙において一定の影響力を保持している。1960年以降は全国的な農村部から都市への移住が増加にともないクルド人も都市部への移住が進み、現在はクルド人の都市居住者と農村部居住者との割合が大幅に変化しているとみられる。ある推計によると、1990年以降もっとも多数のクルド人が存在するのは、南東アナトリア6県のいずれでもなく、イスタンブル県であるとの結果も存在する。各都市のクルド人は、その多くが所得水準の低い宗教的にも敬虔なイスラム教徒であるといわれており、昨今の都市部における大衆政党として草の根活動を行ってきたイスラム系政党躍進の一因と結びつける見方も存在する。

宗教構成は、宗教の帰属が身分証明書の記載事項でもあることからかなり正確な調査結果が存在する。それによると、人口の99%以上がムスリム(イスラム教徒)である。一方、各宗派に関しては、身分証明書にその記載事項がないことから、宗教のように詳細な宗派区分の把握ができておらず不明な点も多い。その結果、一般的にはムスリムを信奉するトルコ国民の大半はスンナ派に属するといわれているが、一方で同じイスラム教の中でマイノリティであるアレヴィー派の信奉者がトルコ国内にも相当数存在しているとの主張もあり、一説には20%を越えるとも言われている。

その他の宗教には東方正教会、アルメニア使徒教会、ユダヤ教、カトリック、プロテスタントなどが挙げられるが、オスマン帝国からトルコ共和国成立までに至る経緯から、いずれもごく少数にとどまる。

一方で、東方正教会の精神的指導者かつ第一人者であるコンスタンディヌーポリ総主教はイスタンブルに居住しており、正教徒がごく少数しか存在しないトルコに東方正教会の中心地がある状況が生み出されている。トルコ国内にある東方正教会の神品 (正教会の聖職)を養成するためのハルキ神学校は1971年から政府命令によって閉鎖されており、東方正教会へのトルコ政府からの圧迫の一つとなっている。

人口構成(2000年国勢調査)
0-- 4 6,033,346
5-- 9 6,449,363


10--14 6,615,428


15--19 6,693,554


20--24 6,390,252


25--29 5,845,812


30--34 5,450,131


35--39 4,759,742


40--44 3,899,599


45--49 3,210,416


50--54 2,453,379


55--59 2,062,228


60--64 1,872,635


65--69 1,513,508


70--74 1,098,952


75--79 720,935


80+ 597,397


教育

義務教育機関として、8年制の初等教育学校(ilk öğretim okulu)が置かれ、そのほか4年制(2004年9月入学以降、それ以前は3年制)の高等学校(lise)、大学(üniversite)などが置かれている。ほかに就学前教育機関として幼稚園(anaokulu)なども存在する。初等教育学校を含めほぼ全ての学校が国立だが、私立学校も存在する。ただし、私立学校の1ヶ月間の学費は、給食費・施設費等込みで一般労働者の月収とほぼ同等で、きわめて高価である。

公立高校・公立大学への入学にはそれぞれLGS・ÖSSの受験を必要とし、成績順で入学校を決定する。トルコにも受験競争は存在し、高校入試・大学入試のために塾(dershane)に通うことも珍しくない。

教員数・教室数はともに十分な数には達しておらず、初等教育学校は午前・午後の二部制である。また学校設備も不十分で、体育館・プールなどは公立学校にはまず存在しない。特に大都市の学校では運動場は狭くコンクリート張りで、バスケットボールやフットサルが精一杯である(地方においては芝生のサッカー場などを持つ学校も多い)。また、図書館も存在しないか、あっても不十分である。学校設備の問題に関しては国も認識し、世界銀行からの融資を受けるなどして改善を図っているが、厳しい財政事情もあって改善が進まないのが現実である。

2004年現在、男子児童の就学率は統計上ほぼ100%に到達したが、女子児童の非就学者は政府発表で65万人程度存在し、トルコ政府は、「さあ、女の子たちを学校へ(Hadi Kızlar Okula)」キャンペーンを展開するなどその解消に努めている。しかし、女子非修学者の問題には、経済事情に加え、男女共学のうえ、未だ保守的なイスラムを奉ずる地域ではヘッドスカーフ着用禁止の初等教育学校に通わせることを宗教的な観点から問題視する親が存在するという事情もあり、女子非修学者の減少はやや頭打ちの状態である。

文化

トルコの国土は、ヒッタイト、古代ギリシア、ローマ帝国、イスラームなどさまざまな文明が栄えた地であり、諸文化の混交がトルコ文化の基層となっている。これらの人々が残した数多くの文化遺産、遺跡、歴史的建築が残っており、世界遺産に登録されたものも9件に及ぶ(詳しくはトルコの世界遺産を参照)。

トルコの伝統的な文化はこのような基層文化にトルコ人が中央アジアからもたらした要素を加えて、東ヨーロッパから西アジアの諸国と相互に影響を受けあいながら発展してきた。

例えば、世界三大料理のひとつとも言われるトルコ料理は、その実ではギリシャ料理やシリア地方の料理とよく似通っているし、伝統的なトルコ音楽のひとつオスマン古典音楽はアラブ音楽との関係が深く、現代のアラブ古典音楽で演奏される楽曲の多くはオスマン帝国の帝都イスタンブルに暮らした作曲家が残したものである。

建築は、イランとビザンチン双方の影響を受け、トルコ独自の壮麗なモスクやメドレセなどの建築文化が花開いた。その最盛期を担ったのがミマール・スィナンであり、スレイマン・ジャミィなどに当時の文化を垣間見ることができる。

俗にトルコ風呂などと呼ばれている公衆浴場文化(トルコ本国においては性風俗店の意味はなく、伝統的浴場の意である。詳細は下記参照)は、中東地域に広く見られるハンマームの伝統に連なる。逆に、中東、アラブの後宮として理解されているハレムとは実はトルコ語の語彙であり、多くの宮女を抱えたオスマン帝国の宮廷のイメージが、オリエンタリズム的な幻想に乗って伝えられたものであった。

近現代のオスマン帝国、トルコは、ちょうど日本の文明開化と同じように、西欧文明を積極的に取り入れてきたが、それとともにトルコ文学、演劇、音楽などの近代芸術は、言文一致運動や言語の純化運動、社会運動などと結びついてトルコ独自の歴史を歩んできた。

こうした近代化の一方で、歴史遺産の保全に関しては立ち遅れも見られる。無形文化財ではオスマン古典音楽の演奏者は著しく減少し、また剣術、弓術などいくつかの伝統的な技芸は既に失われた。有形の遺跡もオスマン帝国時代以来のイスラム以前の建築物に対する無関心は現在も少なからず残っており、多くの遺跡が長らく管理者すら置かれない事実上の放置状態に置かれてきた。近年は、いくつかの有名なギリシャ・ローマ時代の遺跡やイスラム時代の建築が観光化されて管理が行き届くようになったが、依然として多くの遺跡は風化の危機にさらされている。このような状況に対する懸念も表明されているが、その保全対策は財政事情もありほとんどまったく手付かずの状態である。

スポーツ

トルコにおいて国民的なスポーツとしては、まずサッカー(トルコ語でfutbol:発音フトボル)があげられる。国内には18のプロクラブが参加するシュペルリグ(Süper Lig)を頂点に2部リーグ、3部リーグ、さらにその下部の地域リーグが置かれ、プロ・アマ合わせれば膨大な数のクラブが存在する。また、サッカークラブの多くは総合スポーツクラブの一部であり、バスケットボール・バレーボールなど、他種目のスポーツチームを同じクラブが抱えることも多い。

トルコはUEFA加盟国であるため、シュペルリグ上位クラブはUEFAチャンピオンズリーグ・UEFAカップに参加可能である。その中でもイスタンブルのフェネルバフチェ(Fenerbahçe)・ガラタサライ(Galatasaray)・ベシクタシュ(Beşiktaş)とトラブゾンのトラブゾンスポル(Trabzon Spor)は4大クラブと呼ばれ、テレビ・新聞などでの報道量も他に比べ抜群に多い。これらのクラブは実力的にも上位にあるためUEFA主催のリーグに参加することも多い。UEFA主催のリーグに参加するクラブは、なかばトルコ代表として扱われることもあり、これらの強豪は地域にかかわらず全国的に人気がある。また、イスタンブルのフェネルバフチェ・ガラタサライ・ベシクタシュの3クラブは、イスタンブル証券取引所に上場する上場企業でもある。2004-05シーズンのUEFAチャンピオンズリーグの決勝はイスタンブルのアタテュルク・オリンピヤット・スタディで行われ、イスタンブールの奇跡が起こった。サッカートルコ代表は2002 FIFAワールドカップで3位に入るなど健闘した。この大会では韓国と日本に勝利しており、同一大会で2つの開催国に勝つという珍しい記録を達成した。また優勝したブラジルには2回敗北している。

ほかにプロスポーツとしてはバスケットボール・バレーボールのプロリーグが存在する。特にバスケットボールはNBAでのトルコ人選手の活躍や2010年の世界選手権を控えていることもあり、近年人気が上昇している。

また、2005年からはF1トルコGPが開催されており、WRCのラリー・オブ・ターキーとあわせて、モータースポーツにおける発展も期待できる。

650年の歴史をもつ伝統格闘技としてヤールギュレシ(オイルレスリング)があり、トルコ共和国の国技となっている。アマチュアスポーツとしては、レスリング、重量挙げなどに人気がある。またトルコ人の気風を反映してか、空手道・柔道の道場も非常に多い。


祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日 Yılbaşı 法令上は祝祭日ではなく休日
4月23日 国民主権と子供の日 Ulusal Egemenlik ve
Çocuk Bayramı
-
5月19日 アタテュルク記念と
青少年とスポーツの日
Atatürk’ü Anma ve
Gençlik ve Spor Bayramı
-
8月30日 戦勝記念日 Zafer Bayramı -
10月29日 共和国記念日 Cumhuriyet Bayramı -
移動 断食明けの祭り(砂糖の祭) Ramazan Bayramı 初日の13時から3日半
移動 犠牲祭 Kurban Bayramı 初日の13時から4日半

関連項目

トルコの写真



参考文献

外部リンク

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