| (国旗) | (国章) |
| 公用語 | タイ語 | ||||||||||||||||||||
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| 首都 | バンコク | ||||||||||||||||||||
| 最大の都市 | バンコク | ||||||||||||||||||||
元首
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| 建国 - 日付 |
スコータイ王朝成立 1238年 (伝承) |
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| 通貨 | バーツ(THB) | ||||||||||||||||||||
| 時間帯 | UTC (+7)(DST: なし) | ||||||||||||||||||||
| ccTLD | TH | ||||||||||||||||||||
| 国際電話番号 | 66 | ||||||||||||||||||||
タイ王国(-おうこく)は、東南アジアにある王国。東にカンボジア、北にラオス、西にミャンマーとアンダマン海があり、南はタイランド湾とマレーシアである。国土はインドシナ半島の中央部とマレー半島の北部。
目次
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正式名称は、(タイ語: ラート・チャ・アーナーチャック・タイ)で、は「王」、は「領土」、は「タイ」を意味する。現地での通称は、(タイ語: ムアンタイ)。
公式の英語表記は、The Kingdom of Thailand 、略して Thailand 。日本語表記は、タイ王国、通称はタイ。タイランドと称される事も多い。漢字で泰(タイ)と表記されることもある。
かつては諸外国から、Siam と呼ばれていた。Siam とはポルトガル語の Sião, Syão から来た語とされる[1]。この Siam と言う語は古くポーナガルのチャム語碑文(1050年)、パガンのビルマ語碑文(1120年)、アンコールワットの刻文(12世紀頃)などに見える Syām という語に原型を見ることができる。歴史学者・言語学者のチット・プーミサックはその著書『タイ族の歴史』[2]でこの語がビルマのシャン族のシャン、インドのアッサムやアホム族のアホムの語源になったとしている。いずれにせよ19世紀以降タイ国名のローマ字表記は Siam で統一された[1]。
日本においては『明史』巻三百二十四に見える、暹という国と羅斛という国が合併し暹羅斛となった国名を省略して暹羅と記しているのを用いタイを呼ぶ国名とした。なお、暹という国はスコータイ、羅斛はラウォー(ロッブリー)とするのが従来定説であったが[3]、『大徳南海誌』の「諸蕃国」に見える一文「暹国管上水速孤底」と言う記述があることを理由に山本達郎は暹とはアユタヤではないかとする見解を発表した[4]。なお暹羅の読みであるが1712年刊行の『和漢三才図会』ではこの語にしゃむろ、シヱンロウという読みを与えている。しかし、明治期以降シャムの読みが定着した[1]。
こうして20世紀前半までにシャム/ Siam が国名として定着したが、1939年6月24日、時の首相ピブーンは国名をタイに変更する[5]。これはシャムがチャオプラヤー川流域のタイ族を指す外国からの言葉であり、タイ族の自称である「タイ」に変更するのが適切であったと説明されるが、一方でチャオプラヤー川流域以外のタイ族をも取り込もうとしたピブーンの意図も読み取れる[6]。その後、セーニー内閣時の1945年9月17日いったん国名はシャムに戻されたが、返り咲いたピブーンにより1949年5月11日、国名がタイに戻された[7]。時は下ってサリット政権時代に、議会で国名にタイがふさわしいかどうか議論がなされたが、結局は国名を維持することになった[1]。しかし現在でも、タイという名前に反対する知識人が見られる[8]。
詳細はタイの歴史を参照
タイの民族国家成立以前、中国華南に住んでいたタイ民族は、インドシナ半島を南下して現在のタイの位置に定住するようになった[9]。当時、タイには、モン族、クメール人が先住していた[10]。
小タイ族による最初の国家とされるスコータイ王朝 (1238年 - 1350年) は、インタラーティット王がモン族やアンコール王朝の支配を退け成立した[11]。タイ語のアルファベットであるタイ文字が完成したのは、3代目ラームカムヘーン大王の時代であると言われている[12]。
その後、アユタヤー王朝 (1350年 - 1767年)、トンブリー王朝 (1767年 - 1782年)を経て、現在の王朝であるチャクリー王朝 (1782年 - )へと変遷した[13]。現王朝の初代王ラーマ1世(チュラーローク将軍)は、1782年に首都をトンブリーからバンコクに移したため、バンコク王朝とも呼ばれ、また、バンコクの非常に長い正式名称にも含まれているタイの守護仏の名から、ラッタナーコーシン王朝とも呼ばれる[14]。
ラーマ4世(モンクット)は、自由貿易の推進、仏教の改革などを行った[15]。映画『王様と私』にも登場する。
ラーマ5世(チュラーロンコーン)は、国王が立法、行政、司法の三権を掌握する絶対王政システムを確立し、教育制度や官僚機関の整備、奴隷解放など、タイの近代化をすすめるチャクリー改革を行った[16]。
ラーマ6世(ワチラーウット)が王位を継承すると絶対王制への批判が生じはじめ、ラーマ7世(プラーチャーティポック)が即位したあと、プリーディー・パノムヨンやプレーク・ピブーンソンクラームら官吏よって結成された人民党によって1932年にクーデターが勃発し、絶対君主制から立憲君主制へと移行した(民主革命、立憲革命と呼ばれる)[17]。
タイは日本と同盟を結び枢軸国として戦った[18]が、一方でイギリスを中心とした連合国とも裏で通じていた[19]。こうした二重外交により、戦後の敗戦国処理を逃れた[20]上、連合国を中心に設立された国際連合の敵国条項に名を連ねることもなかった。なお、第二次世界大戦の戦禍に巻き込まれたアジア諸国の多くが日本やヨーロッパ、アメリカの植民地であったが、タイは日本と並ぶ植民地に下った歴史のないアジアの1国である。
第二次世界大戦後の冷戦期は、ベトナムやカンボジア、ラオスのような近隣諸国の共産主義化に脅かされた[21]ものの、「共産主義の防波堤」としてアメリカの大々的な支援を受けて、共産主義化は免れた[22]。
また、高い教育程度や豊かな国土を背景に徐々に工業国への道を模索し、1967年には東南アジア諸国連合 (ASEAN) に結成時から加盟。1989年にアジア太平洋経済協力 (APEC) に結成時から参加した。
なお、この頃より日本や欧米諸国の大企業の進出を背景にした本格的な工業化へのシフトを進めるとともに、それらを背景にした高度経済成長が始まり、バンコクなどの大都市を中心にインフラストラクチャーの整備も急速に進むこととなる。1992年には5月流血革命が発生したものの、プーミポン現国王の仲裁により収まった[23]。
1997年に始まったアジア通貨危機により経済は一時的に停滞したものの、その後急激な回復を見せ、現在では再び高い経済成長率を維持しており、[24] 東南アジアにおける代表的な工業国としての立場を保ち続けている。[25]。
詳細はタイの地理を参照
タイは大きく4つの地域に分けられ、その地域ごとにいろいろな顔を見せる。
北部は山岳地が広がり比較的涼しい気候である。タイ国内最高峰であるドーイ・インタノン(2,576m)もこの地域にある。
東北部はほぼ全域にコーラート台地が広がり、雨量が少なく農作物が育ちにくい環境にあって、貧困地域の代表格にもなっている。
中央部にはチャオプラヤー川が形成したチャオプラヤー・デルタと呼ばれる豊かな平地が広がり、世界有数の稲作地帯を作り出している。
南部はマレー半島の一部でもあり、ゴムノキの畑などが広がるほか、近年までスズの採掘が盛んであった。また、雨期が中央部よりも長いことでも有名である。タイ政府は南部においてマレー半島大運河計画(クラ地峡運河開発計画)を提起しているが、まだ検討中である。
以下の都市は人口5万人以上を有し、3,000人/kmの人口密度を持つ市街地(いわゆるテーサバーンナコーン)を有する郡(アムプー)を記載する。
また、以下は経済的な発展のため特殊な法律によって自治が許されている地域である。
詳細はタイの地方行政を参照
75県とバンコク首都府に分かれている[26]。
北部ウタイターニー県 - ウッタラディット県 - カムペーンペット県 - スコータイ県 - ターク県 - チエンマイ県 - チエンラーイ県 - ナーン県 - ナコーンサワン県 - パヤオ県 - ピッサヌローク県 - ピチット県 - プレー県 - ペッチャブーン県 - メーホンソーン県 - ラムパーン県 - ラムプーン県
中部アーントーン県 - アユタヤ県 - カーンチャナブリー県 - サケーオ県 - サムットサーコーン県 - サムットソンクラーム県 - サムットプラーカーン県 - サラブリー県 - シンブリー県 - スパンブリー県 - チャイナート県 - チャチューンサオ県 - チャンタブリー県 - チョンブリー県 - トラート県 - ナコーンナーヨック県 - ナコーンパトム県 - ノンタブリー県 - パトゥムターニー県 - バンコク(県ではない) - プラーチーンブリー県 - プラチュワップキーリーカン県 - ペッチャブリー県 - ラーチャブリー県 - ラヨーン県 - ロッブリー県
東北部アムナートチャルーン県 - ウドーンターニー県 - ウボンラーチャターニー県 - カーラシン県 - コーンケーン県 - サコンナコーン県 - シーサケート県 - スリン県 - チャイヤプーム県 - ブリーラム県 - ナコーンパノム県 - ナコーンラーチャシーマー県 - ノーンカーイ県 - ノーンブワラムプー県 - マハーサーラカーム県 - ムックダーハーン県 - ヤソートーン県 - ルーイ県 - ローイエット県
南部クラビー県 - サトゥーン県 - スラートターニー県 - ソンクラー県 - チュムポーン県 - トラン県 - ナコーンシータンマラート県 - ナラーティワート県 - パッターニー県 - パッタルン県 - パンガー県 - プーケット県 - ヤラー県 - ラノーン県
参考:チャンワット
タイの気候はケッペンの気候区分では熱帯性に分類されモンスーンの影響が大きい。5月中旬から10月ころにかけては空気が湿り、なま暖かく、スコールなどを特徴とする雨期に見舞われる。北部および中部では、8月から10月にかけて降雨量が多く、しばしば洪水が引き起こされる。その後、11月から3月中旬までは雨が少なく、比較的涼しい乾期となり、12月頃に寒さのピークを迎える。バンコクでも年によっては最低気温が20度を下回ることがある。4月には暑季と呼ばれる非常に暑い気候となり、夏を迎える。[27]。ただし半島部東海岸は年間を通じて降水量が多く、気温も高い。[28]。
立憲君主制のもと平時は国王は象徴的な存在である。しかし、政治的な危機にあたってはしばしば国王の直接的、または間接的な介入が見られる。近年においても1992年に発生した5月流血革命の際にプーミポン国王が仲裁に入った他、2006年の政治危機でもタクシン首相の進退問題に直接介入して混乱を収束させるなど、国民からの高い支持を背景にした、危機における国王の政治や国軍への影響力は極めて大きい。
伝統的に王家に対して崇敬を払うよう国民は教えられており、国王や王妃の誕生日には国中が誕生日を祝うお祭り状態となる。誕生日の前後には、肖像画が国中に飾られる。日常生活においても、国民の各家庭やオフィスビル、商店や屋台に至るまで、国王の写真、カレンダーや肖像画が飾られている。映画館では本編上映の前に『国王賛歌』と共に国王の映像が流され、その間観客は起立し敬意を表わすのが慣わしとなっているが、起立を拒否したものが別の観客により不敬罪で告発されることもあった[29]。
特に国王であるラーマ9世(プーミポンアドゥンラヤデート)とシリキット王妃は、その人柄と高い見識から国民の人気が非常に高い。
タイ大使館はタイ王室が古くから日本の天皇家との親交が深いと指摘しており[30]、「親タイ」で知られる秋篠宮文仁親王など、両国の皇室、王室メンバー同士の公的、私的を問わない相互訪問が行われている。
詳細はタイの政治を参照
この項は1997年タイ王国憲法によるものです。2006年の軍事クーデターの結果を反映していません。
タイの国王は立憲君主制であり、その権限はさまざまな制限が加えられている[31]。しかしながら、その地位は確固たるもので、国民の信頼は大きい。実際の国政の最高責任者は首相である[32]。
タイの国会は上下二院制の議会制民主主義をとっており[33]、その実体はラッタサパー () と呼ばれる[34]。この国会は480議席[35]からなるサパープーテーンラーサドーン () と呼ばれる人民代表院(下院議員とも、民選)と150議席[36]からなるウッティサパー ( 、2007年から約半分が民選、残りは任命制) とよばれる上院議員からなる[37]。人民代表院の任期は4年で上院議員は6年である[38]。首相は人民代表院から選出され、上院議員には法律の発案権はない[39]。
タイ王国の政党については、タイの政党を参照。
冷戦期にはアメリカ合衆国との同盟を基調とした西側戦略であったが、伝統的に柔軟な全方位外交を展開・維持しており、ASEAN諸国との連携、日本やアメリカ、中華人民共和国やマレーシアといった近隣主要国との協調を外交の基本方針としている。
タクシン首相時代は、東南アジアの近隣国との関係強化、主要各国との自由貿易協定(FTA)締結を進める経済中心外交を行い、「アジア協力対話(Asia Cooperation Dialogue:ACD)」を提唱するなど、地域の核となる立場を目指した。
タイ王国軍の正規兵力は30万6600人(陸軍19万人、海軍7万600人、空軍4万6000人)で、徴兵制による2年間の兵役の義務を有するが、徴兵の際はくじ引きにより、陸海空のいずれかに配属される若しくは兵役を免除すると言うユニークな方法をとっている。この中で、もっとも厳しいのが海軍であり中には海軍の籤を引き当てただけで卒倒してしまう者もいる。また、海軍は慢性的に人員が不足しており、相当数が服役囚をもって充当されているが、それでも艦艇の乗組員の定数は70%程度しか満たされていないという。
他に予備役20万人が存在する。なお、年間の軍事予算は2003年に19億アメリカドルを計上した。
第二次世界大戦後、2006年までに発覚した未遂を含めて16回ものクーデターを計画、実行するほど、軍上層部の政治志向は強い。なお、2006年9月に起きたタイ王国陸軍のソンティ・ブンヤラガリン大将率いる陸軍と警察による無血クーデター以降、陸軍が中心となった「民主改革評議会」が指名した元陸軍司令官で枢密顧問官を務めたこともあるスラユット・チュラーノン暫定首相率いる、事実上の軍事政権によって国家運営が行われている。
司法権はサーンディーカー () と呼ばれる中央高等裁判所 が持つ。ちなみに、高等裁判所の裁判官は国王による任命制である。
経済の安定や外国企業の積極的な進出を背景にした1980年代以降の高度経済成長はすさまじく、1985年から1995年にかけての10年間、タイは年間平均9%もの経済成長率を記録し続けたが、1997年に始まったアジア通貨危機により経済は停滞した。これによってタイは1ドル/25バーツに固定していた固定相場制を廃止。1998年1月には1ドル/56バーツにまで値下がり、経済規模は10.2%も悪化した。
この危機は特にタイの財閥の同族支配廃止や、外国資本の参入につながった。しかし、タイは外国への輸出を積極的に行ったことから1999年、経済成長率は再び4%台を記録、2003年には6%台を記録し、タイは好景気に逆転した。この好景気を背景に、近年に於いては上流階級よりも中流階級の経済活動の方が活発になっている。
この様に教育に力を入れた結果、1980年代以降は、教育程度の高さと賃金の安さ、そして中流階級の増大による国内市場の拡大に着目した日本や欧米諸国の企業の工場の進出が目立っている。特にホンダやトヨタ、いすゞなどの自動車関連企業の多くが進出している他、家電メーカーなども多く進出し、国内市場への供給を行っている他、関税特典があるASEAN諸国内への輸出拠点として活用している。
また、タイ資本の大手企業として、航空会社のタイ国際航空やバンコク・エアウェイズ、シンハ・ビールで有名なブンロート・ブリュワリーや、ビア・チャーンで有名なタイ・ブリュワリーなどがある。また、2001年より、地方の産業振興や伝統文化の継承、貧困層の収入源確保を目的に、日本の大分県の例をモデルとした「一村一品運動(One Tambon One Product/OTOP)」を展開しており、大きな成功を収めている。
タイの観光産業は、大きな外貨獲得手段の一つである。タイは観光地として世界的に人気が高く、特に北半球が冬となる12月から2月にかけては世界中の国々からの観光客で賑わいを見せる[要出典]。
タイは、その旅の楽しみ方が寺院や遺跡巡りなどの文化的な側面だけでなく、綺麗な海や海岸に囲まれているため、その周辺にスパ等の施設が整っているホテル等を中心としたリゾート地が開発されているので、マリンスポーツなどが気軽に楽しめ、またタイ料理に代表されるグルメやタイ式マッサージなど楽しんだり、タイの外務省も自国民の特徴として紹介している[40]タイ人の穏やかな国民性や、物価も安く様々なショッピングも楽しめること、また気候も一年中通じて温暖なので、冬は避寒地的な場所にもなっているので、世界主要都市から首都やリゾート地へ直行便が就航しており、観光に訪れる人も多くなっている。
宿泊施設に関してもザ・オリエンタル・バンコクやザ・ペニンシュラ・バンコク、シャングリ・ラ・バンコク、ザ・スコータイ・バンコク、デュシタニ・バンコクのような最高級ホテルから、バックパッカー向けの1泊数百円の安宿まで、様々な価格帯のものが充実しているために、富裕層から学生まで様々な層の需要を満たすことが可能となっている。
| 順位 | 国名 | 観光客数(人) | 比率(%) |
|---|---|---|---|
| 1 | マレーシア | 1,404,929 | 11.97 |
| 2 | 日本 | 1,212,213 | 10.33 |
| 3 | 韓国 | 898,965 | 7.66 |
| 4 | イギリス | 757,268 | 6.45 |
| 5 | 中華人民共和国 | 729,848 | 6.22 |
| 6 | アメリカ | 627,506 | 5.35 |
| 7 | シンガポール | 578,027 | 4.92 |
| 8 | 台湾 | 540,803 | 4.61 |
| 9 | 香港 | 489,171 | 4.17 |
| 10 | ドイツ | 455,170 | 3.88 |
(出典 :タイ国政府観光庁/Tourism Authority of Thailand)
首都のバンコクやチェンマイ、プーケットなどの国内の主要都市の間は、半官半民のタイ国際航空や格安航空会社のタイ・エアアジアやオリエント・タイ航空、バンコク・エアウェイズなどの航空会社で結ばれている他、これらの航空会社が諸外国の主要都市との間を結んでいる。
特にスワンナプーム国際空港はアジアのハブ空港の一つとして、世界中の航空会社が乗り入れる他、ヨーロッパとオーストラリアとの間を結ぶ「カンガルー・ルート」の中継地の1つとして利用されている。また、クアラルンプールやシンガポールなどの東南アジアの主要都市からもバンコクへの乗り入れ便は多く、一部チェンマイ、ハジャイ、プーケットなどへの便もある。
日本との間には、東京や大阪、名古屋、福岡や広島などの主要都市とバンコクの間を、日本航空と全日空、タイ航空やバンコク・エアウェイズなど両国の主要航空会社や、ノースウェスト航空やユナイテッド航空など複数の航空会社が1日1便から数便の直行便を運行している他、香港や台北経由で行くこともできる。
タイ国有鉄道による鉄道網が国内の主要都市の間を結んでいる他、隣国のマレーシアやその先のシンガポールとの間はマレー鉄道で繋がっている。ラオス、カンボジア国境へも鉄道路線があり、メコン川流域圏開発構想にともない両国への延伸計画もある。
また、バンコクの中心部の渋滞を解消するため、バンコク・スカイトレイン(BTS)と呼ばれる高架鉄道とバンコク・メトロ(MRT)と呼ばれる地下鉄が近年相次いで開通した。
水上交通かつてバンコクは運河や水路が多く水運が発達しており、「東洋のベニス」とうたわれたこともあったが、いまではその多くが埋め立てられて道路となってしまった。しかし、現在でもチャオプラヤー川や一部の運河では乗り合い船が運行されており、慢性的な道路の交通渋滞を避けることのできる交通機関として、一定の需要がある。
またタイ北部の国境を流れるメコン川では、2001年6月にタイ、ラオス、ミャンマー、中国との間で瀾滄江−メコン川商船通航協定が結ばれ、流域各国間の通商路として利用されつつある。
国内諸都市を結ぶ交通機関としては、鉄道よりも大量輸送公社によるバスの方が発達している。長距離区間では、夜行バスの運行も多い。都市交通もバンコクをのぞくほとんどの都市では小型トラックを改造して作ったバス(ソンテウ)が一般的。
東南アジアにおけるタクシーの典型的かつ古典的なイメージは、三輪式の自転車である。タイ語ではサムロー(三輪の意)というが、バンコクの都市部においては、交通の発達により円滑な交通の妨げになるとして乗り入れが禁止されてしまった。しかし地方においては、いまだ現役で活躍しているのを見ることができる。
ほかに三輪のものとしては、エンジンのついたサムロー(トゥクトゥクとも)があり、これもバンコクの名物といってよい存在であったが、交通の発達により実用的な観点からは主役の座を降りたと言ってよい。ただし、タクシーに積みきれないような大きさのものでもトゥクトゥクなら積めるため、重宝される場合もある。現在では、主に観光客向けの乗り物として利用されている。地方では、三輪エンジンつきのものが現在でも主たるタクシーとして利用されているが、その形状はバンコクでみられるものとは異なり、オートバイの前部に荷台をつけた、より形状の簡易なものが多い。
メータータクシーバンコクなどの都市部におけるタクシーの主役は、エアコンディショナーつきのメータータクシーとなっており、さまざまな会社のタクシーが色とりどりのカラーリングを施したタクシーを走らせている。車種はトヨタ・カローラや日産・サニーなどの日本車が中心である。なお、バンコク市内のタクシーは、安全性と排気ガス規制の観点から一定年数が経つと新車へ代替しなければならないこともあり、比較的きれいな車が多い。値段が交渉制の旧来のタクシーもごく一部に走っているが、見かけることは少ない。
タイでは2000年以降携帯電話加入者が急増し、国際電気通信連合(ITU)によると2005年の時点で携帯電話加入者数の割合は、タイの人口100人に対して42.98人となっている。[41]主な携帯電話事業者として、Advanced Info Service(AIS)やTotal Access Communications(DTAC)があり、この2社の携帯電話市場におけるシェアは80%を超えている。[42]また、2002年に事業参入したTA Orangeも着実に加入者を獲得しており、事業者間のシェア獲得競争は激しくなっている。GSM方式が主流となっており、プリペイドサービス利用者数も増加傾向にある。
その一方で固定電話の事情はあまりよくない。首都バンコクではともかく、地方では一般加入電話の設置に1〜2か月ほど待たされることが多い。また回線も確保が困難である上、雑音混入や混線が頻繁に起こる。このことはタイでの携帯電話普及が進む背景となっている。
インターネットについては、かつてはタイ通信公社(CAT)がインターネット接続事業者の株式の提供を受けてISP免許を交付する形で、事実上市場を独占・支配していたが、1997年の世界貿易機関(WTO)基本電気通信交渉における合意に基づいて、2005年にタイのインターネット市場が正式に自由化された。現在では多くの事業者が市場に参入している。
バンコクにはインターネットカフェが多数あり、その多くでは日本語に対応している。また都市部のホテルや空港では無線LANが充実している。そのうえ、近年ではブロードバンド整備が進められており、都市部ではADSLサービスが普及しつつあるが、回線が混雑することが多く速度は遅い。また地方でのインターネット接続環境の整備は遅れており、都市部、特に首都バンコクとの格差は大きい。
情報通信省(通称、MICT)は不敬罪、反逆罪に抵触する可能性のあるものや、ポルノサイトなどを遮断することがあり、タイではインターネット上の表現の自由が事実上規制・制限されているといえる。なお、ほとんどがポルノサイトである[43]が、タイのインターネットにおける表現の自由を訴える民間機関FACTは、2006年の軍事クーデター以降、MICTの遮断したサイト数が急激に増えていることを指摘している [44]。
タイ族75%、華人14%、その他マレー系、インド系、モン族、カレン族などがいる。特にこの中でも中国系は劇的な同化を果たし、経済・政治面において大きなリーダーシップを握っており、王室系のサイアム・セメントを除くタイの主な財閥はほとんどが華人系である[45]。これと反対にインド系は静かなマイノリティーと呼ばれ、経済で大きな進出を果たすも、政治的な発言力は非常に少ない。
深南部三県では一部のマレー系住民が以前から離反の動きを見せていたが、近年に入ってさらに状況が悪化し、パタニ解放戦線などの組織がパタニ王国の復興を大義名分にして、反政府活動を行う動きが出ている。
東部北部タイではかつて少数民族による共産ゲリラの反政府活動が活発であったが1980年代に入りこれらの活動はほぼ沈静化している。
詳細はタイ人を参照
仏教(南方上座部仏教)95%、イスラム教4%、キリスト教、他にヒンドゥー教、シーク教、道教など。
王室を始め、タイ国内のほとんどは仏教徒で占められている。そのほとんどは上座部仏教であり、それにヒンドゥー教や、精霊信仰を加味した独特の仏教になっている。
タイ南部やバンコク、チェンマイ、チェンラーイなどの地域ではムスリムも見ることができる。特に深南部三県のマレー系住民のほぼすべてがイスラム教徒である。
詳細はタイの仏教、タイのイスラーム、タイのキリスト教を参照。
言語はタイ語が幅広く普及しており、少数民族においても非常によく普及している。一部に、華人やバンコクのマレー系などタイ人と同化したグループを除く少数民族は、それぞれの民族の母語を使用している場合がある。
タイ語の表記はタイ文字が使われる。タイ語の詳細は「タイ語」を参照。
古くからのタイの大きな経済問題として違法産業などが上げられる(参考:タイの違法産業、タイの出稼ぎ産業)。この違法産業の原因は国民全体の貧富の差が激しいためと見られており、これに対して1960年代頃よりタイ政府は「貧困の撲滅」に力を入れはじめた。
これを受け、特に教育の分野において1970年代初め頃から急激に改善が進められ、識字率は1995年の時点で95%を超え、アジアの中でも特に識字率が高い日本やシンガポールなどと並び世界的に高度な水準を誇っている他、経済の急成長を背景に近年では中等教育への進学率が高まっている。
この様な教育水準の高さは国内産業の活発化による中流層の増大だけでなく、外資系企業による製造業やサービス業、金融業などに対する投資を促進する大きな原動力の1つとなっている。
詳細はタイの文化を参照
挨拶をするときには、ワイと呼ばれる合掌をする。相手との関係などによって異なった種類のワイの作法が求められる。また、ヒンドゥー色の強い様々な風習や礼儀作法が存在する。毎日午前8時、午後6時になると駅や公共機関などでは国歌がスピーカーから流れ、国旗が掲揚・降納される。多くの国民が国歌が流れる間その場に直立する。
トムヤムクンやパッタイなどのタイ料理は世界的にポピュラーになりつつある。そのスパイシーかつバラエティに富む味と健康的な素材は日本や北米を始めとする多くの国で高い人気を得て、特に北米、ヨーロッパにおいては1960年代、70年代頃から90年代にかけて急速にタイ料理店の出店がすすんだことが研究者により報告されている[46]。また、タクシン前首相により、「Kitchen of the World」プロジェクトが開始され、タイ料理店の国際展開を推進されている[47]。日本ではブームになった1990年代以降、人気外国料理の定番となっており、都市部を中心にタイ料理レストランが多く存在する他、多くのスーパーマーケットでタイ料理の素材が販売されている。
その一方、西欧諸国などにおいて近年知られるようになってきた「日本料理は健康によい」というイメージがタイにおいても普及してきており、タイ国内にも和食のレストランや寿司屋が開かれるようになってきた。2007年現在、クーラーなどの普及により、食文化も変わり、今最も人気なのは日本食に移り変わってきている。バンコクでは、すき焼き、たこ焼き、しゃぶしゃぶなどなどの日本食店が非常に人気である。
屋台タイ国内には都市部を中心に非常に沢山の屋台があり、どこにでもみられる一人分5バーツ程度の菓子類や麺類などの軽食から、また場所によってはツバメの巣やフカヒレスープなどの高級料理まで、様々な味を楽しむことができる。タイへのリピーター観光客の中にはこの屋台での食事を楽しみにしている人が多いが、路上で営業するという事情から必ずしも衛生的であると言い切れない面もあり、慣れない人は食あたりを起こす場合もあるという意見もある。
フードコートデパートには必ずと言っていいほどフードコート(食券式のセルフサービス食堂)が併設されている。高級ブランドのブティックばかりが入居する非常にしゃれたデパートにもフードコートはある。屋台よりは若干割高だがそれでも30バーツ程度から食事をすることができ、衛生的にも屋台よりは安心できる印象を与える店も多い。
タイの果物熱帯気候に属するタイは果物の種類も豊富であり、また美味である。特にタイで最も暑い時期とされる4月は、ドリアン、マンゴーなどが市場に出そろう。この季節をタイ人は、「ドリアンの季節」、「マンゴーの季節」とさえ呼んでいる。
近年はタイで制作された映画が日本へ輸出されることが多く、2000年以降2006年までに日本で公開されたタイ映画は25作品を数える[48]。アタック・ナンバーハーフやマッハ!!!!!!!!などのタイ映画が全国で公開され若者を中心にヒットした[要出典]。また、タタ・ヤンやパーミーなどの歌手は日本でもCDをリリースしオリコンの上位にランクされるなどヒットしている。
詳細はタイのスポーツを参照。
ムエタイはスポーツとしての勝敗そのものよりも勝敗に関する賭けの結果の方に関心が高い傾向が見られる[要出典]。他にもセパタクローやサッカー(タイ・リーグ)も盛んである。また、夕方の公園などではエアロビクスやバドミントンなどに興じる市民をみる事ができる。
また、モーターリゼーションが進みつつある近年は、パタヤなどに本格的なサーキットが建設され、自動車やオートバイレースなどのモータースポーツが盛んになってきている。古くはアジア人初のF1ドライバーであり、世界的に著名なレーシングドライバーであるプリンス・ビラの出身国でもある。
タイ王国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が3件、自然遺産が1件ある。詳細は、タイの世界遺産を参照。
祝祭日は以下の通りである。なお、タイの暦法について、元々太陰暦であった仏暦が使われるが仏暦2483年(1940年)にその年が9月でうち切られ、西暦(太陽暦)との誤差が修正されたため、現在、日にちのずれはない[49]。
土曜日または日曜日と祝祭日が重なった場合、翌日以降で最初の平日は振替休日となる。
| 日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
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| 1月1日 | 元旦 | ||
| 旧暦3月の満月 | 万仏節 | 2008年では2月21日である。 | |
| 4月6日 | チャクリー王朝記念日 | ||
| 4月13-15日 | タイ正月 | 元々はバラモン陰暦の元旦をはさむ3日間だが、現在では日付固定されている。 各地で水掛け祭りが行われる→ソンクラーンを参照。 |
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| 旧暦6月頃 | 種耕節 | 年によって月日が異なる。2008年では5月9日である。 | |
| 5月5日 | 国王即位記念日 | ||
| 旧暦6月の満月 | 仏誕節 | 2008年では5月19日である。 | |
| 旧暦8月の満月 | 三宝節 | 2008年では7月17日である。 | |
| 三宝節の翌日 | 安居入り | 2008年では7月18日である。 | |
| 8月12日 | シリキット王妃誕生日 | 母の日でもある。 | |
| 旧暦11月の満月 | 安居明け | 2008年では10月14日であるが、今年度は休日にならない。 | |
| 10月23日 | チュラーロンコーン大王記念日 | ||
| 12月5日 | プーミポン国王誕生日 | 父の日でもある。 | |
| 12月10日 | 憲法記念日 | ||
| 12月31日 | 大晦日 |
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| その他 | アブハジア | 北キプロス | 中華民国(台湾) | ナゴルノ・カラバフ | パレスチナ | 南オセチア |
| 地域 | イギリス:アクロティリ・デケリア | オーストラリア:クリスマス島 - ココス (キーリング) 諸島 | 中華人民共和国:香港 - マカオ |
「その他」は国家の承認を得る国が少ない、または無い国、あるいは独立主張をしている国。国際連合非加盟。事実上独立した地域一覧も参照。
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