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エチオピア連邦民主共和国についての情報


エチオピア連邦民主共和国
Ityop'iya Federalawi Demokrasiyawi Ripeblik
エチオピアの国旗 エチオピアの国章
(国旗) (国章)
国の標語 : なし 国歌 : 親愛なる聖エチオピア エチオピアの位置
公用語 アムハラ語
首都 アディス・アベバ
最大の都市 アディス・アベバ
元首
大統領 ギルマ・ウォルドギオルギス
首相 メレス・ゼナウィ
面積
総計 1,127,127km(26位)
水面積率 0.7%
人口
総計(2004年) 67,851,281人(18位)
人口密度 60人/km
GDP(自国通貨表示)
合計(2005年) 782億ブル
GDP(MER)
合計(2005年) 90億ドル(105位)
GDP(PPP)
合計(2003年) 484億7,000万ドル(68位)
1人当り 700ドル
建国 紀元前10世紀ごろ
通貨 ブル(ETB)
時間帯 UTC (+3)(DST: なし)
ccTLD ET
国際電話番号 251

エチオピア連邦民主共和国(エチオピアれんぽうみんしゅきょうわこく)、通称エチオピアは、東アフリカの国。東をソマリア、西をスーダン、南をケニア、北をエリトリア、北東をジブチに囲まれ、かつてはエリトリアを領有していたが、現在は内陸国となっている。アフリカ最古の独立国として有名。

目次

  • 1 国名
  • 2 歴史
    • 2.1 古代・中世
    • 2.2 近・現代
    • 2.3 歴代皇帝
  • 3 政治
  • 4 地方行政区分
  • 5 地理
  • 6 軍事
  • 7 経済
  • 8 国民
    • 8.1 民族
    • 8.2 言語
    • 8.3 宗教
  • 9 文化
    • 9.1 食文化
    • 9.2 音楽
    • 9.3 文学
    • 9.4 世界遺産
  • 10 エチオピア出身の人物
  • 11 関連項目
  • 12 外部リンク
    • 12.1 公式
    • 12.2 その他
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国名

正式名称はアムハラ語で、 (ラテン文字転写は、Ityop'iya Federalawi Demokrasiyawi Ripeblik)。通称は、 (Ityop'iya)。

日本語の表記は、エチオピア連邦民主共和国。通称エチオピア。他にエティオピアとも表記される。

国名のエチオピアは、ギリシャ語の「日に焼けた」という意味のアエオティプスに因むが、これはエチオピア人の肌の色に由来している。ギリシャ神話のパエトーンを参照せよ。また、別名のアビシニアは、アラビア語でエチオピア地方を指すアル・ハダーシュが転訛した物である。[要出典]

歴史

古代・中世

紀元前5世紀から10世紀くらいまで、ソロモン王とシバの女王の血筋を受け継いでいると称していたアクスム王国が、現在のエリトリアにある沿岸の港町アドゥリスを通じた貿易で繁栄した。全盛期は4世紀頃で、このころコプト教伝来の影響が見られ、クシュ王国を滅ぼして、イエメンの一部まで支配したとされる。アクスム王国は、10世紀ごろにアガウ族の女首長グディトに滅ぼされたという説とアクスムのやや南方のラスタ地方から台頭してきたザグウェ朝(ca.1137,ca.1150 - 1270)に滅ぼされたという説がある。ザグウェ朝は13世紀初頭のラリベラ王のときに全盛期で、首都ロハには世界遺産にもなっている有名なラリベラの岩窟教会群が築かれた。しかし、王位継承争いで衰え、さらに南方のショア、アムハラ地方からアクスム王の血筋を受け継ぐと称する有力者イクノ・アムラクによって1270年に滅ぼされた。イクノ・アムラクの建てた王朝はソロモン朝(エチオピア帝国)と呼ばれる。ソロモン朝は、イクノ・アムラクの孫であるアムデ・ション1世以降15世紀のゼラ・ヤコブまで全盛を誇り、エジプトのマムルーク朝に大きな態度をとることすらあった。しかし、16世紀以降その力は衰え、1679年〜1855年頃まで諸侯が抗争する群雄割拠の時代となった(諸公侯時代)。

近・現代

諸公侯の群雄割拠を抑えて再び統一へ向かわせたのがテオドロス2世であり、ソロモン朝中興の主とされ、近代エチオピアは彼の治世に始まったとされる。メネリク2世の19世紀末に2度イタリアの侵略を受けたが、1896年のアドワの戦いによって、これを退けた(第一次エチオピア戦争)。このことは、アフリカの帝国がヨーロッパ列強のアフリカ分割を乗り切り独立を保ったという画期的なできごとであった。しかし、第二次エチオピア戦争に敗れ、1936年から1941年は、イタリアの植民地(イタリア領東アフリカ)となった。1952年にエリトリアと連邦を組んだが、1962年にはこれを併合した。

1973年東部のオガデン地方のソマリ人の反政府闘争、および干ばつによる10万人餓死という惨状、オイルショックによる物価高騰が引き金となり、アディス・アベバのデモ騒乱から陸軍の反乱が起こり、最後の皇帝であるハイレ・セラシエ1世は1974年9月軍部によって逮捕・廃位させられた(1975年帝政廃止)。軍部はアマン・アンドム中将を議長とする臨時軍事行政評議会 (PMAC, Provisional Military Administrarive Council) を設置、12月に社会主義国家建設を宣言。1977年2月にメンギスツ・ハイレ・マリアムが PMAC 議長就任。恐怖独裁政治や粛正により数十万人が殺害されたとされる。1987年の国民投票で PMAC を廃止、メンギスツは大統領に就任し、エチオピア人民民主共和国を樹立、エチオピア労働者党による一党独裁制を敷いた。

エリトリア、ティグレ、オガデンの各地方での反政府勢力との戦闘の結果、メンギスツ大統領は1991年5月にジンバブエへ亡命。ティグレ人中心のエチオピア人民革命民主戦線 (EPRDF) のメレス・ゼナウィ書記長が暫定大統領、次いで1995年8月には新憲法が制定されネガソ・ギダダ情報相が正式大統領、メレスは事実上の最高指導者である首相に就任、国名をエチオピア連邦民主共和国と改称した。

1998年5月12日、エリトリアと国境付近のバドメ地区の領有権をめぐり戦争に発展(詳細については、エチオピア・エリトリア国境紛争の項を参照)。2000年5月、エリトリア軍が撤退を表明。メレス首相は6月、アフリカ統一機構 (OAU) の停戦提案を受け入れた。7月、国連の安保理はPKOである国連エチオピア・エリトリア派遣団 (UNMEE) 設置を決定。

2000年5月の総選挙で与党EPRDFが圧勝。10月10日にはメレス首相再選。2001年2月、エリトリアとの国境に臨時緩衝地帯を設置することで合意。10月8日、ネガソ大統領の任期満了を受け、ギルマ・ウォルドギオルギス人民代表議会(下院)議員が新大統領に。

歴代皇帝

エチオピアの皇帝は、アムハラ語でネグサ・ナガストと呼ばれ、これは「王(ネグ)の中の王」という意味である。王室の権威が遠くまで及ばなかったり、自分の出身地内しか統治できていない時は単にネグ、もしくはラス(諸侯)と呼ばれた。詳細はエチオピア帝国を参照されたい。

政治

政治体制は、連邦共和制。国家元首の大統領の権限は、形式的儀礼的なものに限られる。任期は6年で、下院により選出される。現大統領は、ギルマ・ウォルデギオルギス・ルチャ(ギルマが姓)で、2001年10月8日に就任した。

行政府の長である首相は、下院議員の総選挙後に開かれる議会において、下院議員の中から選出される。内閣の閣僚は、首相が選任し、下院が承認する。現首相は、エチオピア人民革命民主戦線書記長メレス・ゼナウィ(メレスが姓)で、1995年8月22日に就任した。任期は 5 年だが、議院内閣制のため、任期途中で失職する場合もある。

議会は、二院制。上院(連邦院)は 108 議席で、議員は各州議会によって選出される。下院(人民代表院)は 548 議席で、議員は小選挙区制選挙で選出される。議員の任期は、上下院とも5年。

連立与党は、エチオピア人民革命民主戦線 (EPRDF) を構成するオロモ人民民主機構 (OPDO)、アムハラ民族民主運動 (ANDM)、南エチオピア人民民主戦線、ティグレ人民解放戦線 (TPLF) の 4 党。その他の主要政党はエチオピア民主連盟、全エチオピア統一党、統一エチオピア民主党・メディン党、虹のエチオピア・民主社会正義運動の 4 党で構成される統一民主連合 (UDF) など。反政府勢力として統一オロモ解放戦線(UOLF、オロモ解放戦線 (OLF) など 4 組織で構成)、オガデン民族解放戦線 (ONLF) がある。かつての支配政党エチオピア労働者党は勢力を失い、自然消滅している。

地方行政区分

多民族国家のエチオピアは、民族ごとに構成される9つの州と2つの自治区からなる連邦制をとっている。

エチオピアの地方行政区分
エチオピアの地方行政区分
アディス・アベバのチャーチルロード
アディス・アベバのチャーチルロード
  • アディス・アベバ (自治区)
  • アファール州
  • アムハラ州
  • ベニシャングル・グルズ州
  • ディレ・ダワ (自治区)
  • ガンベラ州
  • ハラリ州
  • オロミア州
  • ソマリ州
  • 南部諸民族州
  • ティグレ州
  • 地理

    エチオピアの地図

    エチオピアは世界で27番目に大きい国である。国土の大部分がエチオピア高原を中心とする高地で、年平均気温は13度と冷涼。国土の中央にある首都アディス・アベバの標高は2,400m。北部は水系が多い。ソマリアとの国境に近い東部、オガデン地方は砂漠地帯。

    北回帰線以南の熱帯に位置する国家であるが、気候は標高によって違い、標高 1500m までは平均気温 27°C から 50°C と極めて暑いが、標高 1500m-2400m は移行区間となり、平均気温は 16°C から 30°C ほどである。標高 2400m 以上は冷涼な気候となり、平均気温は 16°C である。

    通常、雨季は 6 月半ばから 9 月半ばまでである。

    軍事

    エチオピア陸軍は 1990 年代には 25 万人となっていたが、軍事費圧縮と軍隊の近代化のため削減され、現在は約 10 万人である。エチオピア空軍は兵員約 2500 人で旧ソ連製の軍用機が中心であり、アフリカ諸国の中では充実した装備である。2002年の国防予算は総予算の中で非常に高率を占める 4億8100万米ドルで、国家予算を著しく圧迫している。尚、エチオピア海軍はエリトリアと連邦を解消するまでは僅かながら存在していたが、連邦解消後内陸国となってしまったため廃止された。このとき、残存していた艦艇は売却されている。

    経済

    1970年代、1980年代の飢餓以来、一時食糧自給を達成した時期を除き厳しい経済状態が続く。現在では成長率約 8%(2001年)を記録するなど好転しているが、依然として世界最貧国の一つ。主要産業である農業は機械化が進まず生産性が低い。エリトリア独立に伴い内陸国となったため、隣国ジブチのジブチ港およびジブチ鉄道を有料で利用。ソマリランドのベルベラ港の利用も増えている。

    主要産業:農業(コーヒー、穀類)、畜産業、アディス・アベバで若干の工業(繊維、食品加工など)

    通貨:ブル (birr、ビルとも)

    国内総生産:64 億米ドル(一人当たり 100 米ドル、2001 年)

    エチオピアの鉱業は、金(5.3 トン、2003 年時点)、銀(1 トン)、塩(6 万 1000 トン)に限定されている。金の産出量は 1990 年時点で 0.8 トンであり、開発が急速に進んでいる。埋蔵が確認されている資源として、水銀鉱、タングステン鉱、タンタル鉱、鉄鉱石、ニオブ鉱、ニッケル鉱がある。

    国土の 10.7% が農地として使われており、農業に従事する国民の割合は 30% に達する。首都アディス・アベバの年降水量は 1179.1mm であり、乾燥に弱い作物の栽培も可能である。しかしながら、農業の構造が輸出商品作物の栽培と畜産業に特化しており、アフリカで 2 番目の人口(2005 年時点でナイジェリアに次ぐ)を支えるには主食の栽培量がまったく不足している。商品作物の輸出が最大の外貨獲得源となっている一方、輸入品のうち最大の品目は食料である。

    主要穀物では、トウモロコシ(274 万トン、以下、2002 年時点の統計)の栽培がさかん。モロコシ(178 万トン)の生産量は世界シェア 10 位に達している。根菜では、ヤムイモ(31 万トン、世界シェア 8 位)が目立つ。畜産業ではウシ(3810 万頭、7 位)、ウマ(145 万頭、9 位)、ラクダ(47 万頭、9 位)。

    商品作物では、コーヒー豆(26 万トン、7 位)、ゴマ(6.1 万トン、8 位)が際立つ。この 2 商品だけで、総輸出額の 50% 弱に達する。

    国民

    エチオピアにはアラブ系や非アラブ系の黒人など 80 以上の異なった民族集団が存在する。黒人が人口の大多数を占めている。

    民族

    ソマリ人と家畜の牛の群れ
    ソマリ人と家畜の牛の群れ

    オロモ人 40%、アムハラ人 33〜35%、ティグレ人 7%、ソマリ人 4% など。

    言語

    エチオピアの言語はアフロ・アジア語族が主である。連邦の公用語はアムハラ語であり、それと別に各州は州の公用語を定めることが憲法で認められている。中等教育以上では英語が教育言語となっているが、就学率が低いため、国民の大多数には通じない。他にオロモ語、ティグリニャ語、ソマリ語などがある。独自文章語としてゲエズ語も存在する。

    宗教

    キリスト教のコプト派(エチオピア正教会)が 50%、イスラーム教が 30%、他に、アニミズム、カトリック、プロテスタント、ユダヤ教など。資料によっては、ムスリムの方が、エチオピア正教会の信徒よりも多いとするものもある。連邦憲法11条は、政教分離を定め、国教を禁じている。

    文化

    エチオピアは、グレゴリオ暦とは異なるエチオピア独自の暦を使用している。エチオピアの 1 月 1 日は、グレゴリオ暦の 9 月 11 日。下の祝祭日表の年月日はグレゴリオ暦である。またグレゴリオ暦からは約 7 年遅れであるが(エチオピアの 2000 年 1 月 1 日は、グレゴリオ暦の 2007 年 9 月 11 日)、その理由はイエス・キリストの誕生年についての見解が違うためであると言われている。

    食文化

    エチオピアはコーヒーの原産地である。主食はインジェラであり、代表的な料理としてはワットやエチオピア風シチューなど。伝統的にエチオピア料理では、ユダヤ教やイスラーム教のように、豚肉を食べることは固く禁じられている。というのもエチオピア正教が禁じているからである。

    音楽

    国教のキリスト教に関連した音楽が発達しているが、同時に古くから民間に伝承されてきた民謡とのかかわりも深い。「アズマリ」はアムハラ人によるミュージシャンのことで、冠婚葬祭や宴会の余興、教会の儀式などに用いられている。ヤギの皮を張った胴と馬の尾の弦から作られた弦楽器マシンコの伴奏で歌われる。もう一つの「ラリベロッチ」は門付の芸人を指す。彼らは朝早く家々の玄関で祝福の内容を歌い金や食料をもらう。いずれも独自の歴史と習慣をもった音楽家集団で、エチオピアの音楽を支えている。

    文学

    世界遺産

    エチオピア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が 7 件、自然遺産が1件ある。詳細は、エチオピアの世界遺産を参照。

    祝祭日
    日付 日本語表記 現地語表記 備考
    1月7日 正教会のクリスマス
    1月19日 主顕節 Timket
    2月2日 Eid-ul-Adha
    3月2日 アドワの戦い記念日
    4月12日 正教会のイースター・マンデー
    4月25日 コプト教会の聖金曜日
    5月2日 Mulud
    5月5日 愛国の日
    5月28日 軍政終結記念日
    9月11日 エチオピアの元日
    9月27日 十字架祭(マスカル)
    11月14日 ラマダンの終わり Eid-al-Fitr

    エチオピア歴では 1 年が 13 か月からなる。1 月から 12 月は各 30 日で、年の残りの 5〜6 日が 13 月になる。

    エチオピア出身の人物

    関連項目

    外部リンク

    公式

    その他

    執筆の途中です この「エチオピア」は、国に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆、訂正などして下さる協力者を求めています。(P:地理/PJ国)
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