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福島県(ふくしまけん、英語表記:Fukushima Prefecture)は、東北地方南部(南東北)にある県。太平洋に面し、奥羽山脈の東西にまたがって存在する。
目次
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地形・気候・交通・歴史などの面から、太平洋と阿武隈高地にはさまれた「浜通り」、阿武隈高地と奥羽山脈にはさまれた「中通り」(以上、太平洋側)、奥羽山脈と越後山脈にはさまれた日本海側の「会津」の3地域に分けられる。県の広域行政単位は、これらを更に細分している。方言単位は、上記3区分の他に、3区分横断的な南北分類もされる(関東方言の影響が県南部で見られるため)。
人口の大きな自治体は、人口順にいわき市、郡山市、福島市となっているが、3市とも30万人前後である。商業統計では郡山市・いわき市・福島市の順、都市圏人口では郡山都市圏、福島都市圏、いわき都市圏の順である。3市はそれぞれの分野に特化し、行政機能が集中する福島市、経済・交通の中枢で商業・内陸工業・流通都市となっている郡山市、莫大な面積を持ち工業・観光に特化するいわき市となっている。また、会津地方の中心都市で史跡旧跡が多く存在する歴史都市会津若松市も上記3都市に比べ小規模ながら重要な地点となっている。
県名の福島は、福島城からとられた。
古墳時代、畿内に前方後円墳が登場するのとほぼ同時期に会津地方でも前方後円墳が作られ始めており、すでに大和朝廷の影響下にあったことが伺える。古墳時代中期以降は、会津地方の古墳造営が減少し、代わって中通りで盛んに古墳が作られた。
5世紀にはすでに福島県全域が大和朝廷の支配下にあったと思われ、福島県域の各国に国造が置かれた。当初、大和朝廷の勢力圏は福島県域が北限であり、蝦夷勢力圏との境界にあたる信夫国(福島盆地)などの国には防備の任もあった。また、関東や近畿地方などから、さかんに開拓のための移民も行われている。その後、国は評(こおり)と呼び名が代わり、陸奥国に再編された。また、大和朝廷の勢力圏も宮城県域、あるいはさらに北に拡大し、信夫評(しのぶごおり)も「北端」ではなくなった。
701年(大宝元年)の大宝律令の施行時には陸奥国となり、評は郡、評司(国造)は郡司になった。拡大した陸奥国は718年(養老2年)に3国に分割された。分割された3国は以下の通りである。
ただし、724年(神亀元年)までにはこの3国は再び陸奥国に合併された。これらの郡は、その後、人口の増加などにより、さらに再分割されている。例えば信夫郡から伊達郡が分割され、安積郡からは安達郡などが分割され、会津郡も耶麻郡を始め多くの郡に分割された。
平安時代には会津で恵日寺が強大な勢力を得たが、平安時代末期にはほぼ福島県全域が奥州藤原氏の勢力下に入り、藤原氏一族の信夫佐藤氏が福島盆地を本拠地として、中通りの中部まで、恵日寺後退後の会津、山形県置賜地方まで支配するまでになった。平安末期、福島県内で他には中通りの石川氏、浜通りの岩城(いわき)氏があった。石川氏は清和源氏の流れで前九年の役に従軍して石川郡に定住した。岩城氏は桓武平家の氏族で、藤原清衡の養女を妻に迎えて石城郡に定住したとも石城郡司の子孫とも言われる。
源頼朝による奥州征伐で奥州藤原氏が滅亡し、信夫佐藤氏が信夫荘(信夫郡の西北、松川以北)に押し込められると、鎌倉による論功行賞で、福島県内は伊達氏、相馬氏、二階堂氏、蘆名氏、畠山氏、結城氏など、多数の関東武士団に細分化された。南北朝の動乱においては結城氏の一族である白河結城氏が台頭し、白河結城氏を主力とする南朝方が大いに優勢となったが、しばらくすると相馬氏など北朝方が盛り返し白河結城氏など多くの諸氏は奥州管領や鎌倉公方の支配を受けるようになる。戦国時代になると、伊達氏の伊達稙宗が南奥羽で外征や婚姻外交を繰り返し南奥羽のほとんど大名が勢力下に入るが天文の乱を起こし衰退したり、白河結城氏が衰退し代わって岩城氏が勢力を盛り返すなど、栄枯盛衰はやむことはなく、隣接する佐竹氏や上杉氏の影響も受けるようになるが、最終的には蘆名氏や相馬氏、二本松氏などを圧倒した伊達氏の伊達政宗が短期間ではあるが、福島県域の浜通りを除く大半を領有することになる。
豊臣秀吉による奥州仕置により伊達政宗が伊達氏の元の本領以外没収され、会津には蒲生氏郷が入る。翌年の葛西大崎一揆の戦後処理で伊達政宗が岩出山に移封させられると、蒲生氏郷が福島県中通り以西のほとんどを領有した。しかし子の蒲生秀行は会津から宇都宮に移され、代わって越後の上杉景勝が会津120万石を得て福島県の中通り以西のほとんどの地域と山形県の置賜地方を領有した。関ヶ原の戦いによって上杉景勝は信夫郡伊達郡を除く福島県域の所領を失い、30万石となる。代わって会津には蒲生秀行が再度入封し、会津藩60万石が成立する。が、2代目の蒲生忠郷が早世し伊予松山藩に移ることになる。次に1627年加藤嘉明が40万石で会津に入封するが、これも2代目加藤明成で会津騒動を起こして領地を幕府に返上した。そして、1643年に松平氏保科正之が23万石で入封し、この松平氏会津藩が幕末まで続くことになる。
一方、信夫郡と伊達郡も1664年に上杉氏米沢藩から召し上げられ、会津藩以外の大藩はなくなり、会津と相馬氏領の相馬地方を除く県内のほとんどの地域で、江戸時代を通じて小藩、天領が入り乱れて激しく変遷した。
江戸時代幕末に置かれた藩及び城郭、交代寄合陣屋としては会津藩、支城の猪苗代城、二本松藩、棚倉藩、相馬中村藩、三春藩、磐城平藩、福島藩、泉藩、湯長谷藩、下手渡藩、水戸藩支藩の守山藩、幕末に幕府直轄地となった白河城、現在の相馬市内にあり、仙台藩の支城となった駒ヶ峯城があり、交代寄合の溝口家の横田陣屋、その他に代官陣屋もあった。 明治初期、版籍奉還後の1869年(明治2年)の太政官令により、陸奥国(むつのくに)南端である現在の福島県域は陸奥国から分離し、西側が岩代国(いわしろのくに)、東側が磐城国(いわきのくに)となった。岩代国は現在の福島県中通り地方の中北部と会津地方。磐城国は現在の福島県中通り地方南部と福島県浜通り地方と宮城県南部(亘理郡、伊具郡、刈田郡)にほぼ相当する。1871年(明治4年)7月(旧暦)の廃藩置県で全国に多数の県が生まれた後、同年11月(旧暦)に現在の福島県域は、岩代国の会津地方(旧会津藩領の越後国蒲原郡の一部[のち東蒲原郡]を含む)が若松県、岩城国、磐城国からなる中通り地方が二本松県(二本松県になって、わずか12日間後に県庁が信夫郡福島町に移転、福島県に改称したのでほとんど機能はしていない)、磐城国はほぼそのまま磐前(いわさき)県の3つの県として統合された。1876年(明治9年)に福島県、若松県、磐前県が合併して新しい福島県となった。その際、磐前県北部(亘理郡、伊具郡、刈田郡)が宮城県に、磐前県南部の一部が茨城県に移管され、さらに1886年(明治19年)に東蒲原郡が新潟県へ移管されて、現在の福島県域になった。これらの変遷は最後の東蒲原郡移管を除いて、1869年(明治2年)の藩の制度化の後、1871年(明治4年)の廃藩置県から1876年(明治9年)までの間に、あわただしく行われた。(誤解されがちだが江戸時代には公式に「藩」という制度はなく、藩は版籍奉還によって明治2年に制定された制度である)
福島県会津地方の北西部、三国岳から飯豊山に、ひげのように細長く延びている県域がある。これは福島県側の地域住民の信仰上の理由で、ご神体となる飯豊山への参道を確保したためである。
年齢5歳階級別人口 2004年10月1日現在推計人口 総計 [単位 千人]
| 年齢 | 人口 |
|---|---|
| 0 - 4歳 | |
| 5 - 9 | |
| 10 - 14 | |
| 15 - 19 | |
| 20 - 24 | |
| 25 - 29 | |
| 30 - 34 | |
| 35 - 39 | |
| 40 - 44 | |
| 45 - 49 | |
| 50 - 54 | |
| 55 - 59 | |
| 60 - 64 | |
| 65 - 69 | |
| 70 - 74 | |
| 75 - 79 | |
| 80歳以上 |
年齢5歳階級別人口 2004年10月1日現在推計人口 男女別 [単位 千人]
| 男 | 年齢 | 女 |
|---|---|---|
| 49 |
0 - 4歳 | |
| 53 |
5 - 9 | |
| 57 |
10 - 14 | |
| 63 |
15 - 19 | |
| 59 |
20 - 24 | |
| 64 |
25 - 29 | |
| 68 |
30 - 34 | |
| 61 |
35 - 39 | |
| 66 |
40 - 44 | |
| 73 |
45 - 49 | |
| 85 |
50 - 54 | |
| 73 |
55 - 59 | |
| 63 |
60 - 64 | |
| 56 |
65 - 69 | |
| 54 |
70 - 74 | |
| 44 |
75 - 79 | |
| 38 |
80歳以上 |
| 福島県と全国の年齢別人口分布図(比較) | 福島県の年齢・男女別人口分布図 |
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■紫色は福島県
■緑色は日本全国
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■青色は男性
■赤色は女性
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| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |
詳細は福島県知事一覧を参照
県内における最大の都市圏は、中通り中部の郡山市を中心とする郡山都市圏であり、周辺地域とともに県内最大の郡山経済圏を形成している。一方、中通り北部(福島市、伊達郡、伊達市)や浜通り北部(旧相馬郡地域 : 相馬市、南相馬市)などは、仙台市への通勤・通学者が一定の割合で存在するほか、休日の買い物に高速バスなどで仙台へ行く傾向が強く仙台市を中心とした仙台経済圏に含まれつつあり、繋がりが深い。(→東北地方の経済史、南東北、仙台経済圏、仙台都市圏を参照)のこと。
本県は南東北の南端に位置し、関東地方に隣接していることから関東への志向が強い。実際、中通りの白河市と郡山市、浜通りのいわき市は関東への通勤者が存在するなど、関東との繋がりが深い。ただし、県北地区と相双地区の仙台志向、また会津地方の観光中心経済と若干の新潟志向とは分けて考える必要があり、福島県の非統一性をうかがわせる一例となっている。
関東広域圏のテレビ放送を直接受信できる地域があったり、首都圏や三大都市圏を中心に展開している店鋪が東北では唯一本県に進出している例(丸井(2008年2月29日閉店)やデニーズなど)もあり、こういった事も本県の関東志向に影響していると考えられる。
都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷 ※東北新幹線の駅が設置された都市圏は斜体。
| 1980年 | 新 | 1990年 | 1995年 | 2000年 |
|---|---|---|---|---|
| いわき都市圏 347,408人 | 東 北 新 幹 線 開 業 82 年 大 宮 85 年 上 野 91 年 東 京 | 郡山都市圏 493,891人 | 郡山都市圏 521,116人 | 郡山都市圏 537,493人 |
| 福島都市圏 343,063人 | 福島都市圏 404,636人 | 福島都市圏 410,964人 | 福島都市圏 412,353人 | |
| 郡山都市圏 341,004人 | いわき都市圏 361,286人 | いわき都市圏 366,207人 | いわき都市圏 365,864人 | |
| 会津若松都市圏 197,672人 | 会津若松都市圏 197,213人 | 会津若松都市圏 197,316人 | 会津若松都市圏 188,686人 | |
| 須賀川都市圏 80,990人 | 須賀川都市圏は郡山都市圏に包含 | |||
| 原町都市圏 74,296人 | 白河都市圏 86,678人 | 白河都市圏 95,084人 | 白河都市圏 96,786人 | |
| 白河都市圏 72,914人 | 原町都市圏 77,162人 | 原町都市圏 77,860人 | 原町都市圏 75,020人 | |
| 喜多方都市圏 45,780人 | 二本松都市圏 66,988人 | 二本松都市圏 67,268人 | 二本松都市圏 66,077人 | |
| 二本松都市圏 45,568人 | 喜多方都市圏 60,818人 | 喜多方都市圏 63,413人 | 喜多方都市圏 59,701人 | |
県内は、東西に長い形状をしているが、2つの山間部によって浜通り・中通り・会津の3つの地方に分かれている。東から太平洋沿岸が浜通り、阿武隈高地で隔てて中通り、奥羽山脈で隔てて会津となる。地形的に山間部で隔てられて結びつきにくい上に、気候風土や風俗にも差があり、3地方での同一県として帰属意識は低く、福島県は他県に比較すると1つの県としてのまとまりに欠けると言われる。
以下、人口は2006年8月1日現在の推計人口[1](福島県の総人口は2,080,823人)。
県内は、さらに県庁の出先機関である地方振興局の管内によって7つに分けられている。以下、地方振興局ごとに市町村を記載する。なお、県北の安達郡(約4.0万人)が県中に、相双の双葉郡(約7.4万人)がいわきに入るとする地域圏の設定もある。
以下の13市13郡32町15村がある。*印は、合併により消滅する予定の市町村。町は「ちょう」ではなくすべて「まち」、村は「そん」ではなくすべて「むら」と読む。
中通り福島広域行政圏
安達広域行政圏
郡山広域行政圏
県南地方振興局管内 153,109人 白河広域行政圏
相馬広域行政圏
双葉広域行政圏
喜多方広域行政圏
会津若松広域行政圏
南会津広域行政圏
本社演奏所の立地として、福島市(県庁所在地。政治的中心地)と、郡山市(経済的・交通的中心地)との2都市に分かれるため、立地の違いによって地方ニュースの重点配分や話題に微妙な地域色がでる。しかし、コミュニティFM以外の全放送局とも、放送対象地域は福島県(全域)となっている。
なお、戦後の福島県域の2大新聞社の対立を反映したせいか、県域対象の民放VHFテレビ局は全国の県で最後の開局、民放FM局も東北6県では最後の開局である。ただし、テレビ東京系列を除く民放テレビ局4局が出揃ったのは1983年である。これは東北6県のなかでは宮城県に次いで2番目であり、比較的早い。
相馬市や南相馬市、相馬郡の一部では宮城県の民間放送4局が、いわき市の沿岸地域や白河市南端、阿武隈高地の一部では関東広域圏の民間放送5局が直接受信可能である。なお、とちぎテレビ(GYT)はアナログ放送はTUFと31chで、デジタル放送はKFBと29chで被っており、福島県内でのGYT受信は困難である。
福島県と同様に、政治力と経済力の綱引きにより民放県域放送局の演奏所が県庁所在地以外にも立地している例は、山形県、山口県にも見られる。
新幹線
JR在来線
私鉄(民鉄)路線
第三セクター
国鉄時代福島県内が東京支社と仙台支社の境目になっていた。このため、地域ごとに分割したJRバスにおいても、日本で唯一2社が営業拠点を設置している県となっている。
高速道路
国道
福島県は、1991年より県のイメージアップ事業で使用するため「うつくしま、ふくしま。」を使用している。これはコピーライターの眞木準の手により提示されたキャッチコピーである。眞木の説明によると、その由来は
「古語の『うつくし』は日本の原風景を残した福島に似合っており、『しま』は県土の形がオーストラリア大陸に似ていることから考えた」[1]ものとされる。同年11月27日に福島県で採用が決定し、初年度だけでも2600万円をイメージアップ事業のために投入した。
本キャッチフレーズは当初こそ福島県民に対してその意図がなかなか浸透せず、「全国でも例を見ない」「奇抜なイメージデザイン」との見解が寄せられることもあった[2]が、のちに「うつくしま未来博」などにおける宣伝活動が功を奏し、県内外から広く認知されるに至った。
うつくしま大橋、うつくしま百名山、うつくしま未来博にみられるように、福島県の美称として「うつくしま」のフレーズが単独で用いられることもある。
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|---|---|
| 北海道地方 | 北海道 |
| 東北地方 | 青森県 | 岩手県 | 宮城県 | 秋田県 | 山形県 | 福島県 |
| 関東地方 | 茨城県 | 栃木県 | 群馬県 | 埼玉県 | 千葉県 | 東京都 | 神奈川県 |
| 中部地方 | 新潟県 | 富山県 | 石川県 | 福井県 | 山梨県 | 長野県 | 岐阜県 | 静岡県 | 愛知県 |
| 近畿地方 | 三重県 | 滋賀県 | 京都府 | 大阪府 | 兵庫県 | 奈良県 | 和歌山県 |
| 中国地方 | 鳥取県 | 島根県 | 岡山県 | 広島県 | 山口県 |
| 四国地方 | 徳島県 | 香川県 | 愛媛県 | 高知県 |
| 九州地方 | 福岡県 | 佐賀県 | 長崎県 | 熊本県 | 大分県 | 宮崎県 | 鹿児島県 | 沖縄県 |
| 中央省庁の行政区分(八地方区分)による。 | |
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|---|---|
| 市部 | 福島市 | 会津若松市 | 郡山市 | いわき市 | 白河市 | 須賀川市 | 喜多方市 | 相馬市 | 二本松市 | 田村市 | 南相馬市 | 伊達市 | 本宮市 |
| 伊達郡 | 桑折町 | 国見町 | 川俣町 |
| 安達郡 | 大玉村 |
| 岩瀬郡 | 鏡石町 | 天栄村 |
| 南会津郡 | 下郷町 | 檜枝岐村 | 只見町 | 南会津町 |
| 耶麻郡 | 北塩原村 | 西会津町 | 磐梯町 | 猪苗代町 |
| 河沼郡 | 会津坂下町 | 湯川村 | 柳津町 |
| 大沼郡 | 三島町 | 金山町 | 昭和村 | 会津美里町 |
| 西白河郡 | 西郷村 | 泉崎村 | 中島村 | 矢吹町 |
| 東白川郡 | 棚倉町 | 矢祭町 | 塙町 | 鮫川村 |
| 石川郡 | 石川町 | 玉川村 | 平田村 | 浅川町 | 古殿町 |
| 田村郡 | 三春町 | 小野町 |
| 双葉郡 | 広野町 | 楢葉町 | 富岡町 | 川内村 | 大熊町 | 双葉町 | 浪江町 | 葛尾村 |
| 相馬郡 | 新地町 | 飯舘村 |